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2005年05月31日
雑誌の見出し
僕が新聞で一番目を通す場所、それは社会面でも経済面でも政治面でもない。広告の雑誌見出しのスペースだ。雑誌自体はほとんど買わないが、見出しは週刊新潮や週刊文春など必ず目を通す。雑誌の見出しさえ読んでおけば、世の中を知るにはまあ十分じゃないでしょうか。
そんなふうに雑誌の見出し好きな僕が最近気になっているのは、『すてきな奥さん』という雑誌。歴史ある、主婦と生活社発刊の雑誌だ。最新号は特集「みんな、できた!食費1か月1万円生活」を中心に、実用的な内容が満載されている。一貫したコンセプトは節約。節約に一生懸命な奥さんというのは、”すてきな”というイメージから遠いような気もするが。
それに対抗するかのように『おはよう奥さん』という雑誌では、「冷蔵庫徹底使いこなしで食費月1万円台生活」という特集を組んでいる。こちらのコンセプトも節約。
可処分所得に余裕がないとき、最初に削減されるのは衣料品、書籍、CD、家電あたりだろうか。そうした一般的な優先順位からいくと、食費を削らなければならない生活というのはかなり苦しい段階という印象がある。安い食材を使うという手もあるが、外国産の食材にはある程度のリスクがある。それに、食費を抑えたために健康を損なっては元も子もない。そもそも、経済大国とされる国に生きる人々の食生活が月1万円というのは奇妙な感覚にとらわれる。
雑誌の売れなさ具合はかなりのものらしいが、雑誌が社会を反映しているというのは今でもあると思う。上記の雑誌の見出しからは、若い人が結婚しない理由や、1万円と1万円台はかなりちがうとか、節約を突き詰めるなら雑誌自体を買わないという選択肢が生まれるのでは、などといったことを考えてしまった。
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2005年05月30日
カウンタックをください
一年に一回ぐらい行くケーキ屋がある。わりと美味しいケーキを売っている。その店内には、ベネトン・フォードのF1マシンが何気なく置かれている。ネルソン・ピケが使用していたものという。
どうやらこのケーキ屋、洋菓子販売は副業のようで、メインの収入源は高級乗用車販売によるものらしい。フェラーリやランボルギーニの車を展示したショールームがケーキ屋のすぐ隣にある。このケーキ屋がある地域は端的にいって田舎なので、そういった高級車のショールームがケーキ屋に隣接して存在する様子は違和感もはなはだしい。「ショートケーキ6つとシュークリーム4つ、あとそれとカウンタック1つください」という注文が入っているのだろうか。
(正確にはケーキは1ピース、2ピースと、ピースで数えるのが正しい。豆知識でラブアンドピース)
こんな田舎にこんなもん建てて買いにくる人おるんかいな、と思っていたのは僕の浅はかさで、車を愛する富裕層がけっこう来てるようだ。地方なので土地が安く、都市部でショールームを構えるより都合がいいらしい。こうしたマニア向けの店は、インターネットによって情報を浸透させやすくなったそうだ。だからたとえ田舎に店をかまえていても、めざとく情報を仕入れてきた人たちが遠路はるばる集まってくるのだという。
ケッ、という感情は、ネタミン・ソネミンの気持ちから。同時に、世界の辺境でバブルを感じた。
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2005年05月29日
radio station
インターネットラジオと一言でいっても、いろんな局があって迷ってしまうのだ。そんな時はなんにつけても先達はあらまほしき事ゆえ、次のサイトを紹介したい。
WEBRADIO STATION……ネットラジオの聴き方や局の紹介など、役に立つ情報が満載。
Net Radio Station……いろんなジャンルのラジオ局をユニークなメンバーが紹介してくれる。
本当に世界中にはいろんな音楽があるのやね。
投稿者 オッズ : 19:00 | コメント (0) | トラックバック | インターネット
2005年05月28日
mylene farmer
![]() | Avant Que l'Ombre Mylene Farmer Universal International 2005-05-10 by G-Tools |
以前のエントリーで、Frequence3というおフランスのネットラジオ局をよく聴くというのは書いた。そこでは時々フレンチ・ポップスなんかもかかり、けっこう気になったりする。最近、いいなと思うようになったのはミレーヌ・ファルメール。年齢はつまびらかならず。最近の曲の「F**k Them All」というタイトルもすごいね。美しき方にございます。
Filament de Lune "MYLENE FARMER"……充実した日本語ファンサイト
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2005年05月27日
ヒット商品
戦後から高度経済成長を経て、バブル経済、長期不況、そして今に至る。そうした歴史の中で一貫していた日本人の価値観は、新しいモノを待ち望み、発売されると先を競うように買い求め、それを手に入れることに幸せを感じるという点にありました。モノというのは、代表的には車と家電製品のことです。
漠然とではありますが、日本でそうした価値観が終わりつつあるような気がします。ここ数年続く、ヒット商品の決定的な不在。その理由としていつも挙げられるのは、メーカー側が消費者の需要をくみ取れていないというものです。もちろんそれもありましょうが、根はもっと深いところにあるように感じるのです。
もうこれまでのようなヒット商品というのは生まれないのではないか、そう思うのです。所得格差が拡大する社会では、供給側は高所得者向けの商品と低所得者向けの商品を差別化して販売していくことになります。すると消費者はいくつかの層にわかれ、細分化していきます。そうした状況では、すべての層におしなべて受けいれられる商品というのはもうありえない。さらに少子高齢化が、これに追い打ちをかけます。
2004年のヒット商品番付を見ても、ネタがないのに無理やりネタをつくっている感じが否めません。そもそもこのヒット商品番付自体が、ヒット商品なき時代に入った90年代から始めているというアナクロニズム感ありありです。
ところで、上半期も大半終わった2005年のヒット商品というのはなんでしょうか。今年もあまり思い浮かびません。僕は世情に疎く、トレンドウォッチャー能力はゼロなのでどうかとは思いますが。2005年はこれが来る、もしくはすでに来てるというのが皆さんの頭の中にはなにか浮かんでいるでしょうか。
愛知万博? 万博の近所に住んでいる人がよく行っているらしいので、地方博としては大成功でしょう。スターウォーズ? もしや、ゲルマニウムブレスレット……。
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2005年05月26日
オイディプス王
![]() | オイディプス王 野村萬斎, 麻実れい, 山谷初男, 沢竜二 ポニーキャニオン 2002-11-20 by G-Tools |
テレビで、野村萬斎「オイディプス王」のアテネ公演の舞台を見ました。『春琴抄』と同じく、こちらも己の眼をつぶす凄惨な話です。
作者のソフォクレスは、アテネ演劇コンクールで24回優勝したという天才。裕福な家で育ったようですが、そんな恵まれた環境で生きてきた人が書いたとは思えないほどの人生の残酷を描きます。
話の導入はこうです。テーバイという国で、疫病が発生し、人々を苦しめていました。テーバイの王オイディプスはこの災いを解決するため、アポロンの神託に耳をかたむけます。神託は「前の王ライオスを殺害した者が、この国にいる」と伝えます。
数年前、ライオスは盗賊に襲われて、非業の死を遂げていたのです。ライオスの死の直後、今度はスフィンクスという怪物の災厄がテーバイを見舞います。スフィンクスは人々に謎をかけ、その謎に答えられない人間を喰ってしまいます。その時旅をしていてテーバイを通りがかったオイディプスは、スフィンクスの謎を解き、見事退治します。この英雄的行為が認められ、人々に請われたオイディプスはテーバイの王に就任、前の王の王妃を自らの妻として迎えます。
アポロンの神託を受けて、早速オイディプスはライオス殺人事件の調査を開始します。そして、明らかになった真相とは……。
「怪物を探し求めていた人が、最後に自分自身こそが怪物だったことに気づく」という物語は少なくないと思うし、個人的にも好きな展開なんですが、その原型はやはり「オイディプス王」でしょう。
スフィンクスを知恵の力で打ち破ったオイディプスも、結局神託には勝てなかった。人間の知恵や努力ではどうしようもないものが、確実にこの世には存在する。「オイディプス王」を見て、あらためてそのようなことを考えさせられました。現代のメディアは、人々に「がんばれば何でもできる」という全能感のメッセージを与えていますが、やっぱりそこには嘘があって、不条理な事柄は厳然と生き続けています。むしろ人間の英知なるもので解決できることなど、微々たるものなのかもしれないわけです。
現代人はリスクマネジメントなどといって、本来予測不可能なことまで、予想して対策を練ります。ああこの程度の地震は想定内でしたよ、とか、戦争にもテロにも事故にも揺るがない強固な社会をつくろうとします。確かに切実な話ではあるのですが、アポロン神から見たら滑稽なことをしているように見えるのではないでしょうか。自分の死をコントロールすることもできない人間が、未来のことを鉄壁のライフプランで固めようとする。なにがそんなに不安なのだ、と。
なーんて、哲学したくなるような話なのですねえ、「オイディプス王」は。蜷川幸雄のけれん味あふれる演出も健在。血に染まった王の衣をまとった萬斎が「痛い~、痛い~」とのたうちまわる様は、とても正視できないお姿にございます。
投稿者 オッズ : 18:49 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年05月25日
春琴抄
![]() | 春琴抄 谷崎潤一郎 EMIミュージック・ジャパン 2000-10-25 by G-Tools |
学生時代にこの映画を授業中に見ていたときのことです。僕は映画の原作となっていた谷崎潤一郎『春琴抄』の内容については知っていたので、ラストで三浦友和が眼に針を刺すというのは予想していました。だから、そのショッキングなシーンがどのように演出されているだろうか、上映中に頭の中でいろいろシミュレーションしながら見ていたわけです。
すると、視界が紅く染まり始め、風景が血の色に変わっていきました。周りの音は小さくなっていき、現実がどんどん離れていくような感触に包まれました。あれ、僕はなにをしているんだろう、いまは何時だ、そんな疑問が不意に生まれて、すぅっとなにかに吸い込まれるような力を感じ、身をまかせました。
……気を失ってやんの。わりと、ホラーとかスプラッターは平気な体質だと思っていたんですがねえ。体調が良くなかったんでしょうか。そういうわけで『春琴抄』は、公衆の面前で失神させられた屈辱の映画として僕のこころに刻まれております。普通に考えれば、山口百恵の映画でグロテスクな演出なんかするわけないんですが。自分の想像というか妄想で失神ですわ。
でもねえ、眼に針を刺すですよ。眼に針を刺す、眼に針を刺す、眼に針を刺す、眼に針を刺す。想像できます? 恐ろしいですよ、やっぱり。
最初からホラーというジャンルに分けられていればこころの準備をしてのぞみますが、たまに普通の映画のふりをしてショッキングなシーンが用意されている映画というのもあって、油断はできません。原作の『春琴抄』には、眼に針を刺すシーンが異様なまでにリアルに描写されていて、谷崎め楽しんで書いてやがると思わずにはいられません。
ちなみに下の映画は面白いらしいのですが、眼球注射のシーンがあると聞いて、怖くて見れてません。
![]() | ゾンゲリア ジェームズ・ファレンティーノ, メロディ・アンダーソン, ジャック・アルバートソン パイオニアLDC 2002-02-22 by G-Tools |
投稿者 オッズ : 18:46 | コメント (0) | トラックバック | 映画
2005年05月24日
おしえて!!FLASH
![]() | おしえて!!FLASH 8 (毎コミおしえて!!シリーズ) まつむら まきお 毎日コミュニケーションズ 2006-05 by G-Tools |
Flashに挑戦したいと思ったら、この本を片手に進めるのがいいんでは。着実にステップアップしていけるように書かれています。
あと、WACOMのタブレット(A5サイズ位のもの)は欲しい。けっこう高いのが難ですが。
投稿者 オッズ : 18:44 | コメント (0) | トラックバック | 本
2005年05月23日
電子辞書
今後の電子辞書に望むことを挙げてみる。
・ネイティブの発音が聴ける電子辞書。現在もいくつかの機種はでているが、発音される単語数がまだ少ない。発音される単語数を大幅に増やしてほしい。メモリーの増量が必要になるが。
・カラーで、動画、写真、音声付きの百科事典をメインにした電子辞書。データディスクマンは生産完了になってしまったが、ああいった製品がなくなってしまうのは残念。バッテリー寿命の伸び、メモリーの増量は必須だが、知的好奇心を刺激するような電子辞書が生まれるとうれしい。
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2005年05月22日
DD-IC7100

2年前に発売されたソニー製の電子辞書DD-IC7100。メモリースティックを使わないタイプの最後の機種。生産完了になった後に15,000円位で購入。
サイズはハガキサイズ。液晶はバックライトがないので暗い場所では見にくいが、ある程度の光量があれば十分に見やすい。キーやジョグダイヤルは操作がしやすい。ただ、反応はややもたつく感じ。キー・ジョグダイヤルを操作すると点滅して光るインジケーターはかっこいい。
辞書は広辞苑とマイペディアを目玉に、各種の21辞書が入っている。この電子辞書を選んだ理由は、広辞苑とマイペディアが欲しかったからだ。図や表は表示されず、項目の説明がすべてテキストなのはさびしい。21の辞書が入っているといっても、あまり使わない辞書も出てくる。英英辞典がないのが、少し不満。
辞書を横断的に検索できる辞書9巻検索は便利。カタカナで英単語を検索できるカタカナ発音検索機能は期待していたが、必ずしも思ったようにカタカナ発音に適合するわけではなかった。これは、英語をカタカナで表記する際にいろいろなカタカナ表記があるのでしかたがないだろう。
文字は3段階で大きさを調整可能。シニア世代でも安心。というより、この機種自体がシニアをターゲットにした製品という感じがする。液晶画面もキーも大きい。この製品のハガキサイズというのは不便を感じずに持ち歩くことのできる限界かなと思う。
細かいところでは、キャリングポーチが付属している点がうれしい。別売のサイズに合うケースを探さなくもよくなる。簡易的なものでよいので、モバイル機器にはこうしたポーチをつけておいてほしい。
全体的にはとても満足している。バッテリー寿命も長い。いつも持ち歩いて参照するというより、机に置いて必要なときに調べるという使い方が適している。ソニーの電子辞書は他社とくらべて影が薄いイメージがあるが、ソニーらしくない堅実なつくりかたがなされていると思った。
店頭在庫もすでにほとんどない状態で、こうしたレビューにどれだけ意味があるのかわからないが、CLIEにはないシンプルな使いやすさは好感がもてる。こうしたシンプルさは、今後のソニーのモバイル端末にも生かされるといいと思う。
投稿者 オッズ : 18:38 | コメント (0) | トラックバック | モノ
2005年05月21日
LifeDrive
「パーム遍路」というブログ名を名乗ってるくらいだから、いつかはPalmを使っての四国遍路を実際にやってみたいと思っているのだす。だが今のPalmは、GPSとして使うにはまだ実用性の点で十分とはいえない。まず必要なのは、地図データを入れられる容量だ。そういう用途のおいては、LifeDriveのようなハードディスク搭載PDAはとても有効だと思う。それ以外でも、容量の大きさが広げる可能性というのは小さくないはずだ。
そんな思いもあって、LifeDriveはけっこう評価してる。推測だけで書くが、おそらく買っても損はしないんじゃないかと思う。
ただ実際のところ、これって売れるんだろうかという気もする。売れないというネガティブなイメージが定着してしまったPDAから脱却しようと、「mobile manager」と銘打っているが、購入層はいつも通り、これまでPDAを使ってきた層やガジェット好きな層になると思う。そうした広がりのない市場の中で、そこそこ売れたという結果に終わりそうな感じ。
機能的には劣っていても、スマートフォン(日本では携帯電話)で十分という空気が支配的だからなあ。
投稿者 オッズ : 13:02 | コメント (0) | トラックバック | CLIE
2005年05月20日
varttina
![]() | ヴィヒマ Vartina BMGメディアジャパン 1998-07-23 by G-Tools |
フィンランドの伝統的な民族音楽とポップスサウンドを巧みに織り上げるバンド、ヴァルティナ。「ヴィヒマ」はヴァルティナの数多いアルバムの中でも、聴き応えのあるアルバムのひとつ。稲刈り唄(北欧ですが)のような叙情的な詩は美しくもどこかせつなく、サウンドはフィンランドの地で生きる人々の生活が伝わってくるような味わいがあります。伝統に寄りかかっているだけでなく、ゲストのヤトハが響かせるホーメイをサウンドに取り入れるといった実験的な試みもしています。
「kokko」というアルバムもおすすめ。
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2005年05月19日
ゲームブック
![]() | パンタクル1.01 鈴木 直人 創土社 2002-05 by G-Tools |
80年代、ゲームブックというものがブームになった時期がありました。ゲームブックというのは、分岐型アドベンチャーゲームを本のかたちで表現したものといいますか、読者の選択次第でストーリーが変化していくシステムが取り入れられたエンターテイメント性の高い小説です。
読者自身が物語の主人公となって読み進めていくと、次々と選択を迫られます。たとえば、「旅の仲間を食べますか?」という選択肢があったら、「食べるなら15へ」、「食べないなら44へ」といった指示がつづき、自分が選んだ番号の箇所へと進みます。時には敵が現れて戦闘になることもあります。戦闘はサイコロを何回か振ることで、勝敗が決定されます。サイコロでランダム性を確保するわけです。
物語は剣と魔法のファンタジー世界を背景にしたものが多いですが、実際には様々なジャンルがあります。一時期はかなりのブームで出版点数も多かったのですが、ブームはしょせんバブルなわけで、当然のごとくやがて市場は急速に縮小していきました。元々、本と鉛筆とサイコロというアナログの極みみたいなものですから、圧倒的な表現力を獲得しつつあったビデオゲームに太刀打ちできるわけがありませんでした。
僕もゲームブックをやりこんだ時期があり、その時は自分でつくってみたりもしました。今でも面白かったと思うゲームブックは、スティーブ・ジャクソンの『ソーサリー』シリーズ、鈴木直人の『ドルアーガ』三部作、『シャーロック・ホームズ 10の怪事件』、岡嶋二人『ツァラトゥストラの翼』といったところでしょうか。特に鈴木直人のゲームブックはすべて出色の出来です。
最近、それら名作とされたゲームブックの復刊が相次いでいます。といっても、昔と比べたら細々としたものですが、昔のファンからしたらそれでいいんです。細々ながら、死なない程度に続いてくれたら。出入りが激しい出版業界では、一度絶版になってしまうと、ふたたびその本を手に入れるのはとても困難です。マイナーな本は特に。僕自身も家にあったゲームブックを大量に処分してしまったことがあって、現在手元に残っているものは多くありません。
ビデオゲームの次世代機をめぐる争いは熾烈をきわめそうな勢いですが、その流れとはまったくちがうゲームの流れとして、ボードゲームやゲームブックの復活という動きも興味深いと思います。複雑になりすぎたビデオゲームの反動でしょうか。現実的な問題として、人々がゲームにそそぐことのできる時間が縮小しつつあるのに、ゲーム自体はプレイヤーにより多くの時間を要求してくるというずれがあるように思います。最近のゲームは面白くなくなったというより、面白くなりすぎました。
そんなわけで、昔ゲームブックファンだった人たちは久しぶりに遊んでみるのもいいんではないでしょうか。
創土社……ゲームブック復刊に奮闘する熱い出版社
鈴木直人伝説……最高峰の国産ゲームブックをつくりあげた男の伝説が今ここに
復刊ドットコム……復刊の願いは終わらない
忘れじの80'sカルチャー 「ゲームブック」が復活の兆し!?……「週刊!エキサイト」の記事
スコット氏のサイト……『ソーサリー』シリーズを思い出させる、Palmゲーム「ゴブリンの洞窟」をつくられたスコット氏のサイト
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スピーシーズ
![]() | スピーシーズ 種の起源 ナターシャ・ヘンストリッジ, マイケル・マドセン, ロジャー・ドナルドソン 20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン 2007-07-27 by G-Tools |
はい、生真面目で石部金吉金兜ぷらす金剛肉棒なブログで~す。今日も堅い話に終始しますよー(^_^;)。
ていうか、金太、マカオに着く(by つボイノリオ)話を颯爽と披露するちんさんのサイトはすごかとです。あの面白さには誰もかないません。いろんな毛を献上したいくらいに、もう心底リスペクトですわ。ああいった職人芸を素人が真似しても、イタい文章綴り方教室になっちまうのが落ちでごんす。それゆえ差別化ってことで、このぶろぐーはこんな感じで相も変わらずです。
で、あらためて媚を売っておきますが、パームボンチ・メロウライフは最高だっちゅーの。さーびす精神あふれすぎ。あ。顔には付いていないのか。
ところで話は変わりますが、「スピーシーズ」の続編そろそろかなあって思ってたら、なんときてるんですね「スピーシーズ3」。「トレマーズ」、「スターシップ・トゥルーパーズ」のけっこう佳作な1作目、そこでやめときゃいいものをタイトルだけで人集まるんならというお手軽戦略の挙句どんどんしょぼくなってく続編たち、もう誰も望んじゃいねえ期待しちゃいねえのにつくられ続けるゾンビクローン。そんな道をお前も逝くのかスピーシーズ。
「スピーシーズ」という映画について説明しておきますると、まずエロ、次にグロ、そして気高くH・R・ギーガーのクリーチャーが見せ場の映画です。セクシーさで男を誘惑するエイリアン、でお楽しみの後に男はひどい目にあうという定番の頭が悪い映画です。この映画から人生の滋味を味わうことも可能ですが、制作者側も観客にそこまで期待してないでしょう。
個人的には2作目の「スピーシーズ2」が1作目に劣らず、意外と面白いと思っています。とはいってもバリバリB級なので、もし見る方は期待値をぐっと下げた上でご覧くださいまし。
で、どうしてこの「スピーシーズ」を推すかというと、僕がナターシャ・ヘンストリッジLOVEだからです! 出演作にB級ホラー作品が多いのを本人はどう思っているのかわかりませんが、あっしは大歓迎でやんす。おそらく彼女は顔が整いすぎているのが、いまひとつメジャーになりきれない理由なんじゃないかなあ。とはいえ、これからも体当たり演技でそのお顔と肢体を見せてほしいです。「スピーシーズ」シリーズはナターシャ様を見るための映画です(「スピーシーズ3」は特別出演)。
でも、多分「スピーシーズ3」はつまらない。
just-natasha.com …… ナターシャ・ヘンストリッジのファンサイト (英語)
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2005年05月17日
ニュースはR指定
![]() | そうだったのか!現代史 (集英社文庫 い 44-2) 池上 彰 集英社 2007-03 by G-Tools |
■一番見せたくない番組は「ロンドンハーツ」 PTA調査 (asahi.com)
どうでもいい調査だとは思うんですけどね。僕もロンブーがどうして人気があるのかわからないのですが、それはまあいいとしましょう。気になったのは、子どもに見せたい番組ランキングの部分です。
<子どもに見せたい番組>
(1)プロジェクトX(NHK)
(2)どうぶつ奇想天外!(TBS系)
(3)3年B組金八先生(TBS系)
(4)ニュース(*)
(5)脳内エステIQサプリ(フジテレビ系)
(6)週刊こどもニュース(NHK)
とりあえず、6位までを抜粋。4位にランクされているニュースというのは、特定の番組を指しているわけでなくニュース全般ということみたいです。
問題なのはそのニュースなんですが、ニュースって子どもに見せるにふさわしい番組ですか? ニュースの内容にもよりますが、ニュースってかなり有害コンテンツだと思うんですが。イラク情勢のニュース、少女を監禁する事件のニュース、JR西日本の日勤教育のニュース、いずれもろくなもんじゃない。こんなの本気で見せたいですか。ニュースこそが、バイオレンスで児童ポルノな世界なのでは。
子どもに現実を見せなきゃという考え方もあるのでしょうが、それなら見せ方というものがあるんじゃないでしょうか。たとえば6位の「週刊こどもニュース」というのは大人が見てもためになる内容で、これならいいんじゃないかと思います。
単にニュースといっても、嘘もあるし、すべてのニュースが自分の生活に必要なわけでもない。むしろ現代人は必要以上のニュースを摂取しすぎて、こころの健康を悪化させているのかもしれない。精神的な免疫力のない子どもにニュースばかり見せてると、ニヒリズムをまとった、シニカルな子どもになってしまうかもしれません。
今のニュースを見ていると、世間が犯罪であふれているように見えます。でも実際は交通事故にあう可能性のほうがよっぽど高いわけで、ニュースで報道されている世界と、実際に生活している世界との距離感には常に注意をはらう必要があります。特に子どもはそういった距離感についての理解は深くないので、親には十分な配慮が求められます。
小学生の間で、イラクの人質処刑場面のFlashアニメが出回っていたということも聞きました。親自身がメディアというものを理解していないと、子どもを守れない時代になっていると思います。
あ、もちろん子どもへの配慮とは別にして、大人どもに向けて世の現実をがんがん見せるという番組も必要です。変な自己規制はやめてくださいね。
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2005年05月16日
ユーリー・ノルシュテイン
![]() | ユーリ・ノルシュテイン作品集 ジェネオン エンタテインメント 2007-01-25 by G-Tools |
5月14日に放送された、NHKのETV特集「ロシアの映像詩人 ノルシュテイン 日本をゆく」を見る。以下、印象に残ったノルシュテインの言葉を中心に、簡単に番組をまとめてみる。
ユーリー・ノルシュテインはロシアのアニメーション作家で、アニメ界では大御所的な存在だ。その彼が取り組んでいる世紀の大作「外套」は、制作が始まって24年が過ぎ、現在も制作が続けられている。CGを使わず妥協を許さない制作姿勢は、現在のアニメ制作では異色だ。
番組の冒頭、ノルシュテインは雪降るモスクワの公園の池で泳ぐ。どんなに忙しくても、公園までの外出は毎日欠かさないという。
ノルシュテインはしばしば日本を訪れる。その日本での滞在の様子が紹介される。俳句、禅、イッセー尾形の公演を楽しむノルシュテイン。
アニメーションコンクールに作品を提出してきた、日本の若手作家の作品を鑑賞。だが、ノルシュテインは作品の出来に不満顔。「若いアニメーター達は何も自分の周りの世界を見ていない」「頭の中でつくられた抽象的なものばかり」
若手作家と語り合う場では、ノルシュテインは彼らに厳しい言葉を投げかける。「あなたたちの作品の水準はとても低く、教養に乏しい」「あなた達は自分の殻に閉じこもり、怖がっている」
折口信夫の「死者の書」を人形アニメとして映像化する川本喜八郎に会う。川本は、自分が「死者の書」を制作するのは、日本人とはなにかという問いが動機になっていると話す。ノルシュテインが「外套」をつくりつづけるのも、ロシア人とはなにかという問いによるものだろう、とも。
高畑勲と対談。その内容は文明論にまで及ぶ。ノルシュテインは語る。「芸術家のようなものをつくる人たちが、既成の社会に安住している。その力に押しつぶされている。だから、何も社会に有益なものを提案していくことができない」「たとえ有益なものを提示したとしても、一般には受けいれられない」これを受けて高畑は、泣ける映画を求める今の観客の本質が、快楽主義にあることを指摘。
最後に、ノルシュテインはゴーゴリ原作の「外套」を次のように語る。「他人の言葉にじっくり耳を傾けることができない、自分の心の貧しさを恥じるようにこの作品は求めている。社会には、無関心や冷たいまなざしがいくらでも見うけられる」
「外套」は完成するのだろうか。
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2005年05月15日
交流戦
プロ野球の交流戦が面白い。
ともすると予定調和になりがちな同リーグでの対戦相手との試合にくらべ、慣れない相手との不安定な試合展開は何が起こるかわからない。そして予想外だったのは、交流という名目のわりにお互いが殺気立っていること。シーズン成績として組み込まれるとはいえ、公式戦とはまた別の感情がぶつかりあっている。ここまで緊迫した試合が見られるとは思わなかった。
ただ、ドラゴンズが負けすぎで気分は晴れない。
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2005年05月14日
占い
最近、とんと嫌いになったのが占いだ。以前はそれなりに気にかけていたが、今はなるべく見ないようにしている。
昔、占いを大嫌いだと言っていた人がいて、当時は自分にとって良い結果がでた時だけ信じればいいんじゃないか、まあそう毛嫌いしなくても遊びなんだから、と思っていた。だが、今はその人の気持ちがよく分かる。占いは有害だ! と声を大にして言いたい。
細かく見ていけば、占いの中にも統計学、心理学的な側面がある、信頼に足る占いも存在する。だが、現在世間で垂れ流されている占いのほとんどは屑といっていい。
大体、未来のことなんて本当は誰にも分かりゃしない。これだけが真理で、他に真理はない。未来のことをさも見通しているかのように、やれ中日が優勝するだの、やれ北朝鮮からミサイルから飛んでくるだの、やれ日本の財政は破綻するなどと広言する輩は信用しないほうがいい。
諸行無常は救いだ。何も変わらない世の方が救いがない。不確実な時代で、人々が短期的な視点しか持ち得ないような時代だから、希望格差社会などということが信じられやすい。だが金持ちだって転落するときは転落するし、貧乏人だって這い上がる奴はいる。マクロで機能している論理も、ミクロではいくらでも穴がある(これはマクロな視点からの政策で手を抜いてもいいという話ではない)。すき間をすべて埋めてしまえるほどのパワーは世界には存在しない。
話が飛びました。
で、占いがなぜ有害と思うかというと、人生において屑の影響を受けるのは御免被りたいからなんですわ。
投稿者 オッズ : 21:04 | コメント (0) | トラックバック | コラム
2005年05月13日
調所広郷
有名な日本の借金時計によると、現在日本の借金は718兆円で、さらにその額は膨れあがっている。これはもう返済を考える現実的な数字とはいえず、いつか国による借金の踏み倒しがおこなわれるかもしれない。
江戸時代後期、薩摩藩の家老に調所広郷という人がいた。当時薩摩藩は、前藩主島津重豪の積極財政政策のために500万両の負債をかかえ、にっちもさっちもいかない状態にあった。薩摩藩の税収は年間12万両程度だったから、返済は事実上不可能な状態だ。広郷はこの状況下で、藩の財政改革を一手に任される。
ある日、広郷は借金元の商人たちに、証文を新しいものに書き換えるからという理由で証文を提出させる。広郷は証文を集めると焼却し、商人たちに新しい証文を渡した。その証文にはこう書かれていた。
「今後、藩の債務は無利子で250年かけて返済する」
250年! 事実上の借金踏み倒しといっていいこの手法に、当然のごとく商人たちは激怒したが、広郷は強硬に押し切る。さらに、国産物の増産、専売制の実施、積極的な貿易などの経済改革を実施し、見事、薩摩藩の財政改革を成功させる。
広郷の尽力なくして、幕末期の薩摩藩の躍進はなかったのは間違いない。だが広郷は、中国との密貿易発覚の責任をとって自殺。享年七十三歳。
この話からわかるのは、財政改革とは容易ならぬものということ。さらに、財政の改革者は人々の恨みを買うのが宿命だということ。
世に改革者を気どる人は少なくない。だが本当に改革の名に値する事をなしとげる人は、ほとんどいない。それは本当の改革者が歩む道は、ものすごく辛いからだ。消される危険もあれば、人々の非難中傷罵声を一心に受けなければならない。無名のまま一生を終わることもあるし、歴史に名が残ったとしても汚名とともに語られるだけかもしれない。旨味はまったくない。
まともな感覚の持ち主なら、本当の改革などには決して触れようとはしないだろう。たとえば憲法改正に関与したがる政治家は多いが、もし憲法改正が彼らの言うとおりに難事であれば、それに関わろうとする人間はほとんどいないにちがいない。
地方の薩摩藩ならいざ知らず、現在の日本経済の規模では、広郷がやったような強引な手法をとるのはまず無理だ。となると、いつか行き詰まってデフォルトという結末がどこかで織り込み済みとなっているのだろうか。
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2005年05月12日
イス研ラジオ
前回の続き。
僕自身はポッドキャスティング型のネットラジオはまだほとんど聴いたことがないのですが、イス研ラジオという放送局のものは聴いています。以前にコメントをくれた「二階堂@イス研ラジオ」という名前が気になってググってみたら、先のサイトに行き着いて、試しに聴いてみたらハマってしまいました。
正直言って、聴く人を選ぶ面白さではあると思うのですが、僕はすごく面白かった。二階堂さんの語り口は芸を感じさせるもので、幅広い話題を巧みにまとめていきます。小笠原さんとの掛け合いも楽しい。(もう一人、影山さんという方がみえるそうですが、まだ聴いたことがない)
司馬遼太郎は『街道をゆく』で「私はどうにも近江が好きである」と書いていますが、そんな司馬氏に愛された滋賀県からイス研ラジオは放送されています。パーソナリティも滋賀に対しての愛にあふれており、「夏の琵琶湖はホントくせえよ」といった発言に心洗われる思いがします。常人には計り知れない、FM滋賀との暗闘も見せ場のひとつ。
僕は岐阜に住んでいるので滋賀とは隣県なのですが、文化圏がかなりちがいます。しゃべり言葉も滋賀は完全に関西だし。県民意識も、滋賀は京都・大阪に向いていて、岐阜は愛知というか名古屋に向いています。お互い背を向け合っています。「お前のような田舎者には興味がないんだよ」と目を合わせようとしない、目糞鼻糞とでも申しましょうか(言い過ぎ)。知名度勝負では、琵琶湖がある分だけ滋賀が岐阜を上回っていると思いますが。
しかし、5月13日放送分で、滋賀県にはこれまで滋賀を本拠として発行する新聞がなかったという事実が判明(京都新聞系列の滋賀新聞で事足りていたらしい)。岐阜には朝・夕発行の岐阜新聞があるので、この点では勝ったかも、ふっ。
っていうか、こんなことで競い合ってどうする。ほんとは岐阜をそれほど愛してるわけでもないのに。まあ、ナショナリズムは外部の存在によって、スイッチが入るということですかね。
ということで、イス研ラジオをおすすめします。日経ゼロワンに掲載されて意気揚がってるみたいです。
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2005年05月11日
ポッドキャスティング
ポッドキャスティングというのは、Webサイトから音声のMP3ファイルをダウンロードして、それをiPodに代表されるMP3プレイヤーに転送して聴くというスタイルの、疑似放送局のことだと理解していますがいいでしょうか。僕もいまひとつ理解に自信がないわけですが。
で、このポッドキャスティングが日本でブレイクするかということなんですが、しないと思います。音声での表現というのは、文字での表現より敷居が高いです。特に恥ずかしがり屋さんが多い日本人にとっては。多少はしゃべりに自信がないと、音声ファイルで更新するというのは気後れします。
文字のサイトを音声読みあげソフトを使って読みあげて、その音声ファイルをアップするというのならば、それほど難しくはありません。Sweetboxブログサービスは画像ファイルしかアップできないので、このブログでは今のところできませんが。
ただやはりポッドキャスティングの中心となるのは、おしゃべりを収録してアップするというかたちです。著作権とのからみで音楽はまず使えません。となると、トークが面白いかどうかにすべてがかかっています。聴くに堪えるような番組はどれぐらいあるのでしょうか。
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2005年05月10日
マチネー/土曜の午後はキッスで始まる
![]() | マチネー/土曜の午後はキッスで始まる サイモン・フェントン, オムリ・カッツ, ジョー・ダンテ パイオニアLDC 2002-02-22 by G-Tools |
六ヵ国協議再開されず。アメリカ、北朝鮮核問題を国連安保理に付託。アメリカの北朝鮮封じ込め策に、中国、ロシアが拒否。北朝鮮、核実験を強行。アメリカ、北朝鮮核関連施設を爆撃。北朝鮮、日本の米軍基地に向けて、核ミサイルを発射……。
最近の北朝鮮の動向は、そんなシナリオに向かってゆっくり進んでいるようにも見える。不安を煽るわけではないが、緊迫の度合いが強まっていくのはほぼ間違いない。だが、たとえそんな中であっても人々は日常を淡々と生きていく。
「マチネー/土曜の午後はキッスで始まる」は、核戦争に最も接近したといわれる、キューバ危機を背景にしている。とはいえ舞台となるのはアメリカの田舎町で、のどかでゆるい空気が町を支配していて、人々の危機への対応もどこか間が抜けている。さらにそんな時勢でありながら、B級ホラー映画で一発当てようと狙う映画プロデューサーは、観客の恐怖感を高める画期的な劇場システム(ちゃっちい)の開発に余念がない。おたくな少年は(ある一部に)大評判のホラー映画が町にやってくることに大喜び、危機に右往左往する大人を尻目に、映画プロデューサーに会いに行く。
この映画、キューバ危機という現実と、のどかな田舎町に生きる人たちのコミカルさが絶妙なバランスでブレンドされている。子どもたちにとってはもちろん核戦争より、ホラー映画の方が重要なのだが、それでも彼らは彼らなりに町を飲み込もうとしている災禍を理解している。そんなせつなさも、この作品の味わいを深くしている。
それに加えて、この映画には少年の恋もある。キューバ危機という現実を逆手にとって、映画を成功させようとする山師的な映画プロデューサーのたくましさもある。僕の好きな要素がすべてつめこまれている。
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2005年05月09日
デジタルラジオ
■CD並み音質のデジタルラジオ、来年登場 総務省案 (asahi.com)
CD並みの音質で、画像も見られるデジタルラジオ放送の本格展開に向けた総務省の報告書案が9日、明らかになった。全国放送を行う新会社とNHKが06年から東京、大阪で放送を先行開始し、11年に全国に広げることとし、放送設備を持つ新会社が既存のラジオ局などから番組供給を受け、音楽、スポーツなどの専門チャンネルを複数展開する形をとる。
どうしても家電を買い換えさせようという意図か? などと邪推したくもなる、国策としてのオールデジタル化だが、テレビの地上波デジタル放送以上に影が薄い、デジタルラジオも計画だけは進んでいるようだ。
テレビの地上波デジタル放送は、対応機器の普及は進んでいるものの、デジタルの特長を生かした番組コンテンツの提供は進んでいない。不況の影響で、テレビ局もデジタルへの投資には消極的だ。ブロードバンド化が進むインターネットとの差別化ができるのかという意見も根強くある。
比べて、未だに受信機の一般販売さえなされていないデジタルラジオが、ちゃんと普及していくのかという点はまったくの未知数だ。CD並みの音質で、画像も見られるとのことだが、どうだろう。著作権保護で、録音をブロックするシステムは付けられるだろうなあ。
僕個人はデジタルラジオよりも、インターネットラジオの方に魅力を感じる。それは放送免許制の限られた放送局でおこなわれるデジタルラジオより、誰でも世界に向けて放送できるインターネットラジオの方が多様性に富み、可能性を感じるからだ。たとえば前回の記事のポッドキャスト専門ラジオ局のようなものでも、そこで放送されるには選ばれる必要があり、それは検閲なのだという見方もできる。日本でのインターネットラジオの成長を阻害している最大の要因は、安価で日本の曲をかけられるというシステムがないからだ。
またポッドキャスティングのような、MP3プレイヤーが広まることで新たな可能性が広まっている。MP3プレイヤーに入れるのは楽曲じゃなくてもいいわけだから、たとえばラジオドラマや落語を移動中に聴くというスタイルもありだ。テレビドラマを電車内で見るより、受けいれられやすいのではないか。
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2005年05月08日
放送と通信の融合
■ポッドキャスト専門ラジオ局、サンフランシスコに登場 (WIRED NEWS)
米インフィニティー・ブロードキャスティング社は5月16日(米国時間)、すべてポッドキャストで構成される世界初のラジオ局を開局する予定だ。同社は米バイアコム社のラジオ部門で、全米で183以上のラジオ局を擁する同国最大級のラジオ放送事業者。インフィニティー社は、サンフランシスコのAMラジオ局『1550 KYCY』の放送をリスナー投稿のコンテンツに変更する予定だ。このラジオ局――以前はトーク番組中心だった――は『KYOUラジオ』に改称される。
インフィニティー社はリスナーに対して、放送に適した自作のデジタル音声ファイルを同局のウェブサイト『KYOUラジオ・コム』経由でアップロードするよう呼びかける。
大胆な試みだ。どんなコンテンツが集まるのか。クオリティは満足できるものなのか。いろいろ興味は尽きない。
アメリカのAMラジオ事情に日本のそれを単純にあてはめることはできないかもしれないが、日本のAMを支えているのは多数のハガキ職人(最近はメール、FAXか)だ。投稿される内容はちがえど、根本となるシステムは「オールナイトニッポン」も「ラジオ深夜便」も変わらない。ラジオパーソナリティは、リスナーから投稿されたお便りに流れを与え、番組を盛り上げる。名物パーソナリティには多数のお便りが集まり、その激しい競争を勝ち抜いたお便りは当然面白い。その面白いお便りで、番組自体も面白くなり、さらに聴く人が増えて多くのお便りが集まるようになる。この拡大再生産がAMの特長だ。
だからAMの番組成功の鍵を握るのは、パーソナリティの個性以上に、面白いお便りすなわちコンテンツをリスナーが提供してくれるかどうかにかかっている。上記の記事の試みは、リスナーのコンテンツが番組を構成する重要な要素となっているAMラジオが、その要素を突き詰めたという、ある意味必然的な流れかもしれない。
リスナー数の減少にあえいでいるとはいえ、AMラジオの影響力はネットを遙かに上回る。ネットでいつでも接することができるコンテンツでも、異なる媒体で新たな客層に届ければ、新たな成功を生むかもしれない(といったことは、『電車男』でも証明されている)。
投稿される番組から、新たな名物パーソナリティは生まれるだろうか。
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2005年05月07日
かけ声
久しぶりにテニスをした。最初、サーブが決まらず苦しんだが、ショットの瞬間に声を上げるようにしてから、決まるようになった。かけ声の効用は馬鹿にならない。スポーツ医学的には、筋肉の出力を一時的に上げているということなのかな。今夜の晩ご飯とか余計なことが頭から払われて、集中力もアップするのかもしれない。
スポーツ選手に「あのかけ声はなんて言ってるんですか」と訊くレポーターがいるが、愚問だ。こういうことを言おうと意識して発するわけではない。たまたま、ああいった声がでるというだけのことだ。
……やっぱり、筋肉痛に。想定内ですがね。
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2005年05月06日
泣き虫弱虫諸葛孔明
![]() | 泣き虫弱虫諸葛孔明 酒見 賢一 文藝春秋 2004-11-25 by G-Tools |
『三国志』を最初に読んだのは、小学校5年生の時に岩波少年文庫で。登場人物が多すぎてよくわからなかったが、とりあえず孔明はすごいと思った。神謀奇策の超絶軍師にして、風向きさえも自由自在にあやつるスーパーマン。それでいて、最後まで誠実に主君のために力を尽くし、あくまで強国の魏に立ち向かう姿は、悲劇的で美しい。判官贔屓の日本人遺伝子を刺激せずにはいられない存在だ。
だが僕も中学生ぐらいになるとひねてきて、一見すると一点の隙もなさそうな孔明という存在に、どことなくある種の欺瞞を感じるようになった。それは孔明の主君、劉備にもいえることだが、そんな完璧な人間なんているわけないよな、という素朴な思いだ。「どうせ裏でなんかやってるんだ。大人なんて、大人なんて、みんな汚いんだっ」という、思春期特有の感情なんかもないまぜになりながら、最初に読んだときとはちがった角度で『三国志』を見るようになった。
孔明と劉備を冷めた目で眺めてみると、その偽善性やわざとらしさが見えてくる。なぜ処刑寸前の呂布に、「お前が一番信用できない」と劉備は指摘されたのか。南蛮征伐の際に、孔明がおこなった南蛮人大量虐殺は人倫にもとる行為ではないのか。最初に『三国志』を読んだときには蜀ファンであった僕は、孔明の冷酷と劉備の偽善に気持ち悪さを感じて、いつの間にか呉のファンになっていた。
今まで述べてきたのは物語としての羅漢中作『三国志通俗演義』についてだが、歴史書としての陳寿作『三国志』に目を向けると、孔明の能力自体にも疑問符がついてくる。ぶっちゃけ、孔明って天下とれなかったじゃん、とか、単なる地方軍閥の参謀でしょ、どうしてそれが天才軍師なの、などという身も蓋もない感想をもつ人がいてもおかしくはない。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』は、理想化された孔明と現実に存在した孔明という二つのリングを、知恵の輪のように、連環させた作品だ。特筆すべきは、孔明を人間的に描いていながらも、孔明の凄さも味わえることだ。極端なまでの変化球と見せて、実はど真ん中のストライクとでも言おうか。
隆中の変人として土地の人から嫌われていた孔明が、劉備の求めに応じて出廬するまでが描かれているが、これがもう面白くてしかたがない。孔明の口から頻繁に出てくる言葉が”宇宙”。常人には理解しがたい独自の宇宙論と自己演出美学で、もう何が何だかわからない存在になっていく。軍師は爆発だ! ってなノリで進むストーリーは、『三国志』にもちょっと飽きたかなあという人にこそ読んで欲しい。
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2005年05月05日
少年時代
![]() | 怪人二十面相 (少年探偵) 江戸川 乱歩 ポプラ社 2005-02 by G-Tools |
こどもの日なので、こども時代の思い出を書いてみる。といっても、椎名誠的な詩情とか自然とかはでてこない。僕のこども時代は、地方の都市化によって遊び場が失われていくプロセスの中にあり、ファミコンという人工的な遊びに取りこまれていった初期の世代だった。だから辛うじて広場で野球をしたり、カブトムシを育てたりした経験はあるものの、自然に親しんだ原体験はあまりない。
当時愛読していたのは、ポプラ社の『少年探偵団』シリーズ。作品の時代背景は昭和初期だが、当時はそれがリアルタイムの作品だと勘違いしていた。作品にしばしば登場する怪しい西洋館や、明智小五郎の情報係として活躍する浮浪少年が、どうして僕のまわりで見かけないのか不思議でしょうがなかった。特に蔦のからまった西洋館は子ども心に魅力的な建造物で、きっと自分の行動範囲を超える場所に存在するのだと考えていた。
人が突然消えてしまったという世界の不思議話や、怪奇な話の本は片っ端から読んだ。矢追純一のUFO番組はすべて真実だと信じ込んでいて、番組を嘘っぱちだと言う両親はチップを埋め込まれているのではないだろうかと疑っていた。何をしていたのか思い出せないときは、学校からの帰り道にグレイに誘拐されて、記憶を消されたのかもしれないと思った。
特に怖かったのが、心霊写真だった。今でも怖い。窓ガラスに写り込んでいる苦悶の顔が、頭に残ってしまってなかなか消えないのだ。最近、友人に心霊写真が怖いと話したら、彼はPhotoshopが出てきてから怖くなくなったらしい。なるほど。デジタルには念写なんかも入り込む余地がなさそうだ。
犯罪者のニュースも子ども心に怖かった。そんな怪物が平気で歩いているのを想像して、背筋が凍った。やつらが突然、僕の家を襲うのではないか。
ある日の夕方、ピアノ教室の帰りに、車の中からおいでおいでする男にあった。僕はやつらだと直感して、その場から必死で逃げた。その日着ていたドラえもんのTシャツは、男が僕を特定する目印になると思って、二度と着なかった。
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2005年05月04日
JR脱線事故
尼崎のJR脱線事故の原因はなかなか特定されないようだ。報道は日々続いているが、本当のことがわかるには時間がかかる。それまで、事故のことを忘れないようにしたい。
この事故で思うこと。ひとつは、2007年問題とよばれる団塊の世代の大量退職のこと。バブル崩壊以降、企業は新卒採用を抑制し、人材を長期的なスタンスで育成してこなかった。その余裕がなかった。そのため、年齢構成に歪みがでている。JR西日本では、30代の社員が極端に少ないことが報道されている。そうした中で、どのように技術と知識を次の世代に継承していくか。その過渡期をどう乗り切るか。
もうひとつは、この事故の教訓として、効率ばかりを追求していいのかという声もあがっているが、スローライフ的な方向にはおそらく進まないだろうな、ということ。むしろこの事故は、車両自動化への本格的な取り組みのきっかけとなるのではないか。JRの事故対応はすでに機械的であるが。
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2005年05月03日
アメリカンジョーク
以前のエントリーでも書いた、NHKの「テレビで留学! ニューヨーク大学英語講座」。
番組の後半に、生徒が一人、先生からミッションを与えられてそれを果たすというコーナーがある。いつの回だったか、先生からのミッションが「見ず知らずの人に、自分でつくったジョークを聞かせる」という回があった。もちろん、英語で。
このミッション、かなり難しいのではないか。英語に自信のある方は一度挑戦してもらうといいと思うが、このミッションのハードルの高さは英語力だけにとどまらない。まず、同族であるはずの日本人でさえも笑うポイントはかなりちがう。今まで僕のギャグをスルーする人に何人か出会ったが、彼らはおそらく、大陸からの渡来人かアイヌか隼人か琉球の方なのだろう。僕自身が渡来人という可能性もあるが。つまんないギャグだから笑われないだけ? またまた~、冗談ばっかり。
また、世代毎でも笑うポイントはまったくちがう。笑うツボが異なる相手との結婚生活は、肩がこりそう。
そうした困難さを上回るのが、外国人を自分のオリジナルジョークで笑わせるというミッションだ。文化のちがいも理解していないと、相手を引かせてしまったり、下手すると怒らせてしまうかもしれない。落語好きの外国人というのもいるみたいだが。
そういう意味で、初対面の外国人を言葉で笑わせることができる人というのは、TOEICの点数がどうであれ、もう免許皆伝だと思う。だがそこに至るには、間違いを恐れずにどんどん英語を使うことが大切なんだろうな。
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2005年05月02日
消費税
消費税について素朴な疑問がある。現在の国の財政状況を考えると消費税の増税はやむを得ないという理屈はわかる。だが、「食料品などの衣食住にかかわる生活必需品は非課税にする」という方式が、真剣に検討されないのはなぜなのか。
どの商品を非課税にするか、線引きが難しい。事務処理が煩雑になり、簡素という消費税の利点が損なわれる。こういったことを政府税調は主張する。だが、反論としては弱い。要するに、調整するのが面倒だからできない、と言っているにすぎない。怠慢と無能を表明しているだけのことだ。これだけの税源が必要だから消費税はこれだけ上げないと、といった程度の算盤勘定ならば誰にでもできる。
次期首相が真っ先に行うのが消費税の増税であることは、既定の路線になっている。総額表示という外堀も埋められた。だがこのままなし崩し的に、豆腐にも、日産シーマにも同じ10%以上の税を課するのか。食料品は生命の存続にかかわるもので、単なる商品ではない。
消費税引き上げ反対を叫ぶばかりで、じゃあ財源はどうするの、という問いには満足な答えを用意できない野党にもうんざりだ。少しは勝算のある戦いをしてほしい。
本来ならば、憲法改正論議などやっている場合ではない。愛国心や自衛隊では、膨大な財政赤字は解消できない。支出を抑えて、景気を回復させるという地道な取り組みを十分におこなわず、結党50年という国民には何の関係もない記念イベントの一環として、憲法改正という目立つことばかりに力を入れる。エネルギーを注ぐ場所がどう考えても間違っている。
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2005年05月01日
toy soldier
![]() | Encore [Deluxe Edition] Eminem Aftermath 2004-11-12 by G-Tools |
洋楽を聴くときは歌詞もわからず聴いていることがほとんどだが、たまに気まぐれで訳してみたりすると、音だけ聴いて抱いていたイメージとの思わぬ落差に衝撃をうけることがある。明るいアップテンポの曲で恋の歌かなんかだろうと思っていたら、重い社会派のメッセージ性の強い曲だったりする。日本人アーティストは、恋愛や個人的な内容の曲が多く、社会派の作品は少ないように思う。もちろんメッセージ的な曲もいくつか知っているが、主流とは言い難いのでは。そんな日本の主流派の感覚で洋楽を聴いていると、歌詞に込められた現実をつい見落としがちになる。
中学生のころによく聴いていたのが、80年代アイドルポップスのマルティカだった。ファーストアルバム「誘惑のマルティカ!」、セカンドアルバム「Martika’s Kitchen」を買い、首を長くしてサードアルバムを待っていたが、その後音沙汰がない。セカンドアルバムが売れず、メジャーシーンから消えたらしい。今も音楽活動は続いているようだが、いまひとつ、のっていけない路線に変わってる。
Oppera公式サイト 今のマルティカ(音でます)
ここで書くのは昔のマルティカについて。マルティカの曲で、日本人に一番よく聞かれているのは「Toy Soldier」だろう。カバーされたこともあったし。この曲を僕はかなりの時間、なんとなくラブソングのひとつとして聴いていた。麻薬でみんなおもちゃの人形みたいにばたばた倒れていくよ、という曲だと認識したのはかなり後のことだ。
「Toy Soldier」には本人が日本語で歌ったバージョンもあり、これがまた外国人が日本語で歌う曲ならではの、どこか痒い感じがある。それにもまして変なのは、元の曲の精神をまったく踏みにじる、とってつけたようなラブソング的な歌詞がつけられていたことだ。これも僕の誤解の一因になっていたのではないかと思われる。
エミネムのアルバム「ENCORE」に入っている「Like Toy Soldier」を耳にして、以上のようなことを思い出した。「Like Toy Soldier」は、ラッパー同士で争うのはもうたくさんだ、という曲らしいが、ふつうにクールなサウンドとして聞いている。いつまでたっても、中学のころと同じレベル。
薬物をテーマにした洋楽の曲って、けっこうあるんじゃないかな。日本でもエイズなんかを扱った曲なんかが、もっと歌われてもいいような気もするけど。

















