2006年08月17日
影の軍団
千葉真一の時代劇「服部半蔵 影の軍団」がDVDで出るとか。「影の軍団」シリーズの第1作目。ちょうど岐阜テレビで放送しているが、迫力があってなかなか面白い。今の時代劇は昔の日本家屋とは思えないほどに画面が明るく、いかにもテレビ作品だなあというのが多いが、「影の軍団」は映画っぽいつくりになっていて、光と闇に気を使われている。陰影礼賛。
登場人物も一筋縄ではいかない、複雑さを抱えていてリアルだ。山村聰演じる保科正之は主人公半蔵の理解者でありながら、天下安泰のためには上層部の悪にも目をつぶるような狸親父ぶりだし、敵方の甲賀くのいちである三林京子は半蔵を親の仇と狙いながら同時に好意を抱いている。
アクションについては言わずもがな。ところで「柳生一族の陰謀」も含め、やたら強い公家や坊主がよく出てくるが、彼らはどこで鍛錬してるんだろう。忍者や剣豪と互角にわたりあえるとは。
あと岐阜テレビは「猿の軍団」も放送してて、軍団づいてる。
投稿者 オッズ : 21:42 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2006年08月09日
腰元と合コン
大奥を舞台にしたドラマなんかを見ていると、主要な登場人物の他に何人かの腰元が出てくる。将軍御台所などの高貴な人物の側に仕える人たちだ。そういった人たちに注目してみると、実に目立たない顔立ちで、注意していない限り視線がそちらに向かないような人を配置している。ドラマを見終わった後で、どんな顔をしていたか思い出すのも困難なくらいの地味さである。これは演出としては当然のことで、仲間由紀恵の背後に控える侍女が、あれ、あの娘可愛いんでないの、と視聴者の印象に残ってしまう女性だったとしたら、仲間の印象は薄くなり、その人物がその後なにもストーリーにからんでこないのがひどく不自然に感じるだろう。逆に不細工であればそれはそれで目立ってしまうわけで、言葉は悪いがどこにでもいるような顔という肉体的資質と己を殺す演技によって、比類のない平凡をそこに創りだし、カメラに映っているのに消えているという恐るべき術が展開されているのである。
同時にそれは名前のある役とその他大勢に明確な区別がなされているわけで、肉体によってそこに厳然とした壁が存在しているという俳優世界の残酷も思う。
なお、スパイや忍者はどこにでもあるような顔と肉体の持ち主であることが条件になる。諜報活動で目立つことは百害あって一利なしだからだ。よって、トム・クルーズや千葉真一は不適格。では、どういった人を想像すればよいかといえば、プーチン大統領あたりがよかろうか。
大奥記……将軍の夜のおつとめの際には、3人の監視役の女性が付いたという。が、このゲームでそこまで再現されるかは不明。
投稿者 オッズ : 23:58 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2006年04月02日
天才という言葉に弱いのです
以前のエントリーにも書いたが、NHK総合で放送されていた「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~」を見た。「ロケット開発」「衛星開発」「有人宇宙飛行」「月面着陸」の全4回。米ソの宇宙開発競争を二人の天才科学者を軸に描いたドキュメンタリードラマだ。
放送済みのテレビ番組を紹介するのって意味あるんかいなという気もするが、今後は放送した番組をネット放送することが盛んになるようだし、DVDも発売されると思うので、もし見る機会がありましたら、御覧下さい。久々に見応えのあるテレビ番組を見たという感じです。
アメリカの科学者フォン・ブラウンについては、比較的よく知られているかもしれない。だが、ソ連の科学者セルゲイ・パブロビッチ・コロリョフという名前は、”ガガーリン””スプートニク””ライカ”といった名前に比べると、知る人ぞ知るという存在なのではないか。なにしろ、死ぬまでその存在自体が伏せられていた人物なのだ。
今回のドラマで、コロリョフという人物について深く知ることができたことが、自分の中で一番の収穫だった。ドラマも、これまであまり知られてこなかったコロリョフの人生に力点を置いて描いていたように思う。矯正労働収容所から、ロケット開発の最前線へという波乱の人生。自分を告発したグルシュコとの関係(グルシュコはロケットエンジンの第一人者なので、コロリョフはロケット開発のために彼の力を借りないといけない)。コロリョフの良き補佐役であったミーシンが、コロリョフ亡き後、ロケット開発を任されるものの、そのプレッシャーに耐えきれず酒に溺れていくところなどはほろ苦い。
有人宇宙飛行の場面では、「コロリョフはそれまでの実験から、ガガーリンが無事に帰還できる可能性は五割程度と思っていました」という厳しい内容のコメントが、さらっと語られていたりする。
宇宙開発競争で常にアメリカをリードし続けてきたソ連がつまづいたのが、ロケットエンジンの問題だった。ソ連はアメリカのサターンロケットに搭載されたような強力なエンジンを開発できず、N1ロケットでは30基もの数のエンジンを搭載することで推進力を得ようとした。だが、30基のエンジンを同時に制御することは至難の業で、失敗を繰り返し、後に大惨事を招く原因ともなった。こうした技術的な話も興味深かった。
こうした硬派な番組が、日本でも制作されるとよいのですが。
投稿者 オッズ : 12:47 | コメント (2) | トラックバック | テレビ
2006年03月19日
宇宙へ ~冷戦と二人の天才~
3月18日深夜にNHK総合で放送されていた「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~」を見た。3回シリーズで、第1回は「ロケット開発(RACE FOR ROCKETS)」。
冷戦時代、アメリカとソ連の間で熾烈をきわめていた宇宙開発競争。両国にはそれぞれ天才的な科学者がいた。アメリカには、フォン・ブラウン。ソ連には、セルゲイ・コロリョフ。超大国の思惑を背景に、宇宙開発に中心的な役割を果たした二人の運命を描くドキュメンタリードラマ。
ブラウンは元ナチ党員で、V2ロケットの開発に携わっていた。V2ロケットはナチスドイツ末期に開発されたロケット兵器。V2ロケットの性能にアメリカもソ連も注目し、その技術を手に入れようと画策する。結局、ブラウンの身柄やその技術的資料はアメリカに渡る。
スターリンの粛正によって、無実の罪で矯正労働収容所に入れられていたコロリョフは、ロケット開発のために出所を許される。ソ連軍がV2ロケット開発工場に着いたときには、すでにブラウンら科学者たちは別の場所に移された後で、重要な資料も持ち去られていた。だが、コロリョフは残されたロケットの残骸から、V2ロケットを復元する。ブラウンの開発チームに参加していた科学者の何人かが名乗り出て、彼らを加えたコロリョフチームはロケット開発に本格的に乗り出す。
ブラウンにしてもコロリョフにしても、純粋な宇宙への夢や憧れは抱いていただろう。だが、二人のロケット開発には常に政治的な意志などの生臭い世界もつきまとった。今日でさえ、宇宙開発は経済的な面など多くの点でリスクが高い事業だ。冷戦時代の超大国にとっては、相手に後れをとることは、核兵器の脅威にさらされることだった。その緊張感は尋常ではない。
スターリンの命を受けて、ロケット開発を進めるコロリョフ。失敗は、収容所への逆戻りを意味する。最初はV2ロケットの模倣を続けていたコロリョフだったが、何度かの発射失敗を経て、機体の切り離しによって航続距離を劇的に伸ばすことに成功する。首がつながったコロリョフは、ソ連の宇宙開発を担う存在になろうとしていた。
一方、ブラウンの方はどうか。ブラウンは元ナチ党員という過去が響いて、戦争犯罪を問う声に悩まされていた。処罰はされなかったものの、ロケット開発の環境も与えられず、いわば飼い殺しのかたちで各地で講演会をおこなっていた。
こうして、宇宙開発競争はソ連一歩リードということで、第1回放送は終わった。BBCらしくシンプルな演出だが、事実が劇的なので見応えがある。
投稿者 オッズ : 23:29 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2006年03月17日
不思議と思うことが大切
NHKの「視点・論点」という番組は、言ってみればテレビコラム的な内容で、毎回時事な話題をその筋の専門家が語る。大体は、量的緩和解除とかイラクの民主化とかいう堅いテーマが多いのだが、たまにユニークな人が登場するのが面白い。異様にテンションが高い人とか、いつもそのファッションなのかとツッコミたくなるような人とか。初めて聞くような分野を生涯賭けて追究している人を見ると、ああこんな人もいるんだなあと妙に感心する。
最近だと、サイエンスクリエイターの米村でんじろうさんが殺風景なセットを取り払って、シャボン玉を使った科学実験をやっていた。米村さんはメディア露出が多いので、わりと有名な人なのかな。僕はその実験を初めて見たので、シャボン玉が変形するのを見て、おおっと思った。こういった科学実験はビデオキャスティングの素材としてもいいかも。それにしても、米村さんは見事な芸人だ。
その回のタイトルは「不思議と思うことが大切」。本ブログのコンセプトもそうありたいですな。
投稿者 オッズ : 23:43 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2006年03月07日
シリアスに耐えられない
ニュース番組では、政治の腐敗、大規模な災害、悲惨な殺人事件、繰り返される談合や不正、核開発、テロや紛争、小悪党どものみみっちい犯罪といった暗澹たる気分にさせられるニュースが続いた後に、唐突に動物の話題が入る。これがどうにも居心地が悪い。キャスターは笑いながら、「微笑ましいですね」などと語るのだが、あれって必要なものなのか。あざらしのタマちゃん、レッサーパンダの風太くんが忘れ去られたとしても、あくまで動物のトピックスは、精神の中和剤的な役割を担って、無理やりニュースに押し込められ続ける。ああ、どうして人はバランスを取らずにはいられないのだろう。げんなりした気分のままで、フラッシュニュースや天気予報に突入する方がむしろ自然だ。どうして、大して話題性のない動物芸を挿入せずにはいられないのか。
思わずにマジになって、固い話を語ってしまった後で、あっ、この語り口は俺のキャラクターじゃないと気づき、無理にギャグを入れてしまう、そんな経験のある人もいるだろう。だが、そういった試みは往々にして成功しない。なぜなら、文脈というものがあらゆる場面において存在するからだ。だが僕はそこに、バランスを取らずにはいられない、人の弱さや習慣というものの計り知れない強さを見る。
といったことを、イナバウアーする亀という、強引なのにもほどがある芸を見ながら思った。
追記:
おいらの亀もイナバウアー、ってのを思いついたんですが、品位としていかがなものか。
投稿者 オッズ : 01:09 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2006年02月21日
木村多江
![]() | 木村多江 写真集 「余白、その色。」 小池 伸一郎 ワニブックス 2004-01-24 by G-Tools |
木村多江という女優さんが微妙に気になる。わりと有名な人だと思うが、ドラマで出てくるときは大体、幸薄そうな感じの役で出ている。そんなにドラマをチェックする人ではないのであまり自信はないが、昔から薄幸な役が多かったように思う。
先日も「功名が辻」を見ていたら、主人公千代のお母さんを演じていて、まず夫が討ち死にし、ごほごほと咳き込みながら家を焼かれて逃げまどい、その挙げ句、娘を救うための囮となって無惨に斬られてしまった。あまりの予定調和の薄幸ぶりに笑ってしまったではないか。
こういう人はえてして、普段の生活は異様なまでに明るかったりするわけだが、彼女はどうなのだろう。とりあえず、昨年結婚して幸せらしい。
投稿者 オッズ : 21:19 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2006年01月18日
「オートマタの世界」に登場したオートマタ
メ~テレによれば、「オートマタの世界」は20分素材が3本あるようだ。穴埋め番組なので、放送は流動的だが、現在までに確認できている、登場したオートマタは以下の通り。
第1回
ピエロ・エクリヴァン
マンドリンを弾く少女
バードゲージ
シンギング・トゥ・ザ・ムーン
モンキースモーカー
スネーク・チャーマー
玉乗りをする道化師
第2回
編物をする少女
月にセレナーデを唄うピエロ
お菓子屋の猿
スパニッシュダンサー(女)
ヤシの実の猿
ハープを演奏する少女
テディベアー
歌のレッスン
パラソルを持った道化師
第3回
マスクを持った道化師
黒人バンジョー
ベリーダンサー
ダブル・シンギングバード
梯子の上の道化師
ブタとトリュフ
サイコロを使う手品師
投稿者 オッズ : 19:56 | コメント (7) | トラックバック | テレビ
2005年11月30日
大河ドラマ改革
![]() | 砦なき者 野沢尚 東北新社 2004-09-24 by G-Tools |
テレビドラマを最近あまり見なくなった。最後に見たのは、「トリック」シリーズぐらいか。以前は、野沢尚脚本のドラマが好きでよく見てたのだけど、彼のドラマはもう見られなくなっちゃったからね……。遺作となった「砦なき者」はやっぱりどこか怖い感じがした。死という感触がそこにたしかにあるという感覚。彼のような心の底からゾクゾクするミステリードラマを書ける人は、彼亡き後は見あたらない。
そんなわけで、ほとんど最近のドラマは見てないのだが、ただ大河ドラマだけは昔からの習慣で見続けてしまっている。”美しき流れ”ゆえか、それとも惰性なのかは知らねど、なんとなくガキのころから見続けている。記憶をたどれば、たしか「おんな太閤記」ぐらいから見ていると思う。
今年の「義経」も、金粉をまき散らす演出に眉をひそめたり、せっかく石原さとみががんばって舞ってるのにあんな大量の紅葉では台無しだなどとケチをつけながら楽しんでいる。僕はリアルな演出が好きなので、変に幻想的な雰囲気にしてみたりするのは好きくないのだ。あと、合戦のときに、登場する兵員が少ないように感じるのだけど。義経が平家の大軍を蹴散らすというシーンでも、全然大軍じゃなくて、こりゃ陣を破られても仕方ないわなという数の兵士で守っている。おそらくこのシーンは、NHKが受信料未納による予算減少という難敵と戦っていることも表現しているのだろう。
ところで、大河ドラマは大きな問題を抱えていると思う。それは、舞台となる時代がどうしても戦国時代に偏りがちになるということだ。その理由は簡単で、戦国時代以外の時代、たとえば去年の幕末のような時代を取りあげると、視聴率が稼げないからだ。NHKは特に最近、視聴率重視の傾向があるように感じるが、そうなると必然的に万人受けしやすい、戦国時代ばかりになってしまう。だが、僕のような歴史マニアにとっては織田豊臣徳川はもう飽き飽きなんだよ。じゃあ、どうすればよいか。
ここは思い切って、もう日本の歴史じゃなくていいんじゃないか。中国の三国時代とか古代ローマとか、トロイア戦争とかフランス革命やナポレオン戦争とか。背景はブルースクリーン合成で。よくハリウッドが日本を描くとどこか違和感があるのだけど、こちらが外国を描くとどうなるのか。興味深い。
でもまあ、CGを使うにしろ、そんな金ないか。
投稿者 オッズ : 21:49 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年11月09日
オートマタの世界
「オートマタの世界 ジ・アンティークオルゴール・デジタルミュージアム」という番組が、メ~テレで金曜深夜(?)に放送されている。けっこう以前から放送されていたと思うが、放送したりしなかったりというスキマ番組という感じ。
オートマタというのは、ヨーロッパのからくり人形のようなもので、オルゴールを内蔵し、ゼンマイによって動く人形です。「オートマタの世界」で取りあげられているオートマタは、京都嵐山オルゴール博物館(音あり)のコレクションで、その博物館のサイトではオートマタが実際に動くムービーを見ることができる。
不思議な色気があるんですよね、オートマタ。
ムットーニ …… からくりつながりで
野坂オートマタ美術館 …… 行ってみたい
投稿者 オッズ : 22:26 | コメント (2) | トラックバック | テレビ
2005年05月26日
オイディプス王
![]() | オイディプス王 野村萬斎, 麻実れい, 山谷初男, 沢竜二 ポニーキャニオン 2002-11-20 by G-Tools |
テレビで、野村萬斎「オイディプス王」のアテネ公演の舞台を見ました。『春琴抄』と同じく、こちらも己の眼をつぶす凄惨な話です。
作者のソフォクレスは、アテネ演劇コンクールで24回優勝したという天才。裕福な家で育ったようですが、そんな恵まれた環境で生きてきた人が書いたとは思えないほどの人生の残酷を描きます。
話の導入はこうです。テーバイという国で、疫病が発生し、人々を苦しめていました。テーバイの王オイディプスはこの災いを解決するため、アポロンの神託に耳をかたむけます。神託は「前の王ライオスを殺害した者が、この国にいる」と伝えます。
数年前、ライオスは盗賊に襲われて、非業の死を遂げていたのです。ライオスの死の直後、今度はスフィンクスという怪物の災厄がテーバイを見舞います。スフィンクスは人々に謎をかけ、その謎に答えられない人間を喰ってしまいます。その時旅をしていてテーバイを通りがかったオイディプスは、スフィンクスの謎を解き、見事退治します。この英雄的行為が認められ、人々に請われたオイディプスはテーバイの王に就任、前の王の王妃を自らの妻として迎えます。
アポロンの神託を受けて、早速オイディプスはライオス殺人事件の調査を開始します。そして、明らかになった真相とは……。
「怪物を探し求めていた人が、最後に自分自身こそが怪物だったことに気づく」という物語は少なくないと思うし、個人的にも好きな展開なんですが、その原型はやはり「オイディプス王」でしょう。
スフィンクスを知恵の力で打ち破ったオイディプスも、結局神託には勝てなかった。人間の知恵や努力ではどうしようもないものが、確実にこの世には存在する。「オイディプス王」を見て、あらためてそのようなことを考えさせられました。現代のメディアは、人々に「がんばれば何でもできる」という全能感のメッセージを与えていますが、やっぱりそこには嘘があって、不条理な事柄は厳然と生き続けています。むしろ人間の英知なるもので解決できることなど、微々たるものなのかもしれないわけです。
現代人はリスクマネジメントなどといって、本来予測不可能なことまで、予想して対策を練ります。ああこの程度の地震は想定内でしたよ、とか、戦争にもテロにも事故にも揺るがない強固な社会をつくろうとします。確かに切実な話ではあるのですが、アポロン神から見たら滑稽なことをしているように見えるのではないでしょうか。自分の死をコントロールすることもできない人間が、未来のことを鉄壁のライフプランで固めようとする。なにがそんなに不安なのだ、と。
なーんて、哲学したくなるような話なのですねえ、「オイディプス王」は。蜷川幸雄のけれん味あふれる演出も健在。血に染まった王の衣をまとった萬斎が「痛い~、痛い~」とのたうちまわる様は、とても正視できないお姿にございます。
投稿者 オッズ : 18:49 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年05月17日
ニュースはR指定
![]() | そうだったのか!現代史 (集英社文庫 い 44-2) 池上 彰 集英社 2007-03 by G-Tools |
■一番見せたくない番組は「ロンドンハーツ」 PTA調査 (asahi.com)
どうでもいい調査だとは思うんですけどね。僕もロンブーがどうして人気があるのかわからないのですが、それはまあいいとしましょう。気になったのは、子どもに見せたい番組ランキングの部分です。
<子どもに見せたい番組>
(1)プロジェクトX(NHK)
(2)どうぶつ奇想天外!(TBS系)
(3)3年B組金八先生(TBS系)
(4)ニュース(*)
(5)脳内エステIQサプリ(フジテレビ系)
(6)週刊こどもニュース(NHK)
とりあえず、6位までを抜粋。4位にランクされているニュースというのは、特定の番組を指しているわけでなくニュース全般ということみたいです。
問題なのはそのニュースなんですが、ニュースって子どもに見せるにふさわしい番組ですか? ニュースの内容にもよりますが、ニュースってかなり有害コンテンツだと思うんですが。イラク情勢のニュース、少女を監禁する事件のニュース、JR西日本の日勤教育のニュース、いずれもろくなもんじゃない。こんなの本気で見せたいですか。ニュースこそが、バイオレンスで児童ポルノな世界なのでは。
子どもに現実を見せなきゃという考え方もあるのでしょうが、それなら見せ方というものがあるんじゃないでしょうか。たとえば6位の「週刊こどもニュース」というのは大人が見てもためになる内容で、これならいいんじゃないかと思います。
単にニュースといっても、嘘もあるし、すべてのニュースが自分の生活に必要なわけでもない。むしろ現代人は必要以上のニュースを摂取しすぎて、こころの健康を悪化させているのかもしれない。精神的な免疫力のない子どもにニュースばかり見せてると、ニヒリズムをまとった、シニカルな子どもになってしまうかもしれません。
今のニュースを見ていると、世間が犯罪であふれているように見えます。でも実際は交通事故にあう可能性のほうがよっぽど高いわけで、ニュースで報道されている世界と、実際に生活している世界との距離感には常に注意をはらう必要があります。特に子どもはそういった距離感についての理解は深くないので、親には十分な配慮が求められます。
小学生の間で、イラクの人質処刑場面のFlashアニメが出回っていたということも聞きました。親自身がメディアというものを理解していないと、子どもを守れない時代になっていると思います。
あ、もちろん子どもへの配慮とは別にして、大人どもに向けて世の現実をがんがん見せるという番組も必要です。変な自己規制はやめてくださいね。
投稿者 オッズ : 21:08 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年05月16日
ユーリー・ノルシュテイン
![]() | ユーリ・ノルシュテイン作品集 ジェネオン エンタテインメント 2007-01-25 by G-Tools |
5月14日に放送された、NHKのETV特集「ロシアの映像詩人 ノルシュテイン 日本をゆく」を見る。以下、印象に残ったノルシュテインの言葉を中心に、簡単に番組をまとめてみる。
ユーリー・ノルシュテインはロシアのアニメーション作家で、アニメ界では大御所的な存在だ。その彼が取り組んでいる世紀の大作「外套」は、制作が始まって24年が過ぎ、現在も制作が続けられている。CGを使わず妥協を許さない制作姿勢は、現在のアニメ制作では異色だ。
番組の冒頭、ノルシュテインは雪降るモスクワの公園の池で泳ぐ。どんなに忙しくても、公園までの外出は毎日欠かさないという。
ノルシュテインはしばしば日本を訪れる。その日本での滞在の様子が紹介される。俳句、禅、イッセー尾形の公演を楽しむノルシュテイン。
アニメーションコンクールに作品を提出してきた、日本の若手作家の作品を鑑賞。だが、ノルシュテインは作品の出来に不満顔。「若いアニメーター達は何も自分の周りの世界を見ていない」「頭の中でつくられた抽象的なものばかり」
若手作家と語り合う場では、ノルシュテインは彼らに厳しい言葉を投げかける。「あなたたちの作品の水準はとても低く、教養に乏しい」「あなた達は自分の殻に閉じこもり、怖がっている」
折口信夫の「死者の書」を人形アニメとして映像化する川本喜八郎に会う。川本は、自分が「死者の書」を制作するのは、日本人とはなにかという問いが動機になっていると話す。ノルシュテインが「外套」をつくりつづけるのも、ロシア人とはなにかという問いによるものだろう、とも。
高畑勲と対談。その内容は文明論にまで及ぶ。ノルシュテインは語る。「芸術家のようなものをつくる人たちが、既成の社会に安住している。その力に押しつぶされている。だから、何も社会に有益なものを提案していくことができない」「たとえ有益なものを提示したとしても、一般には受けいれられない」これを受けて高畑は、泣ける映画を求める今の観客の本質が、快楽主義にあることを指摘。
最後に、ノルシュテインはゴーゴリ原作の「外套」を次のように語る。「他人の言葉にじっくり耳を傾けることができない、自分の心の貧しさを恥じるようにこの作品は求めている。社会には、無関心や冷たいまなざしがいくらでも見うけられる」
「外套」は完成するのだろうか。
投稿者 オッズ : 21:06 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年05月03日
アメリカンジョーク
以前のエントリーでも書いた、NHKの「テレビで留学! ニューヨーク大学英語講座」。
番組の後半に、生徒が一人、先生からミッションを与えられてそれを果たすというコーナーがある。いつの回だったか、先生からのミッションが「見ず知らずの人に、自分でつくったジョークを聞かせる」という回があった。もちろん、英語で。
このミッション、かなり難しいのではないか。英語に自信のある方は一度挑戦してもらうといいと思うが、このミッションのハードルの高さは英語力だけにとどまらない。まず、同族であるはずの日本人でさえも笑うポイントはかなりちがう。今まで僕のギャグをスルーする人に何人か出会ったが、彼らはおそらく、大陸からの渡来人かアイヌか隼人か琉球の方なのだろう。僕自身が渡来人という可能性もあるが。つまんないギャグだから笑われないだけ? またまた~、冗談ばっかり。
また、世代毎でも笑うポイントはまったくちがう。笑うツボが異なる相手との結婚生活は、肩がこりそう。
そうした困難さを上回るのが、外国人を自分のオリジナルジョークで笑わせるというミッションだ。文化のちがいも理解していないと、相手を引かせてしまったり、下手すると怒らせてしまうかもしれない。落語好きの外国人というのもいるみたいだが。
そういう意味で、初対面の外国人を言葉で笑わせることができる人というのは、TOEICの点数がどうであれ、もう免許皆伝だと思う。だがそこに至るには、間違いを恐れずにどんどん英語を使うことが大切なんだろうな。
投稿者 オッズ : 22:24 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年04月30日
セールスマンの死
かなり以前に録画したまま見ていなかった、無名塾「セールスマンの死」の舞台中継を見る。数年前に放送されたが、アーサー・ミラーの追悼として再放送されたもの。主演は仲代達矢。
感想を率直に言うと、これきっついわ~。 ○| ̄|_ ←これを使ってみたくなるほどの重苦しさに満ち、これほど救いのない気分にさせてくれる芝居も貴重なのではないか。マツケンサンバを観た後に観ると、エレベーター急降下の気分が味わえるだろう。
ストーリーは、仲代達矢演じるセールスマンとその家族が、残酷な社会システムの中で崩壊していくすがたを描くというもの。冒頭、かなりまいっている仲代が帰宅するところから話は始まる。仲代はかつてはやり手のセールスマンだったが、社長が交代してから人生は暗転、基本給はカットされ、歩合給のみになってしまう。一日中車を走らせてセールスをおこなうが、成果は得られない。最近は、自殺を匂わせるような行動をしている。
優しく賢い妻は、そんな夫を心から心配している。息子は二人いて、長男はかつてはフットボールで活躍したが、34歳にもなるのに定職がない。次男は女のことしか考えていない。ただ二人の息子も心根は優しく、父親のことを気遣っている。
ひとつひとつのエピソードを見ていくと、仲代演じるセールスマン自身に問題がないわけではない。隣に住んでいる友人は、世間のいやらしさに対して精神的な距離をとることを勧めているが、彼は仕事での成功にこだわりすぎるあまり、周りが見えていない。長男との精神的な葛藤も、彼が過大な期待を息子に押しつけていることから生じている。
だが、僕はこのセールスマンを愚かだとは笑えなかった。誰の身にも起こりうることだと思った。そしてこの戯曲が描かれたのが1947年であることを知って、世の中の本質的なところはちっとも変わっていないことに軽い失望感を覚える。
アーサー・ミラーはなかなか仕事に厳しい人らしく、自分の作品の舞台化には慎重だったらしい。日本での上演は滝沢修が有名だが、仲代がミラーに交渉にいったところ、ミラーが黒沢映画を気に入っていたことからすんなり上演を認めてくれたという。
仲代がこの舞台に込めた思いが伝わってくるような作品。痛みが伝わる演劇? たまにはこんな芝居もいい。
投稿者 オッズ : 22:43 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年04月14日
アルゼンチン化
3月までNHK教育で放送していた人間講座「『共生経済』が始まる~競争原理を超えて」で興味深かったのは、終盤近くの回に紹介された、新自由主義経済改革を推進したアルゼンチンと日本の経済動向を比較した内容だった。内橋克人氏と新潟大学経済学部教授の佐野誠氏の対談形式で行われた。
アルゼンチンでは、1970年代から新自由主義にもとづく経済改革が実施されている。最初は、軍事政権下のもとで1976年から開始された。投機的なブームが生まれ、やがてそれは通貨・金融危機に移行した。その結果、1980年代は低迷する経済のもとで、社会的な劣化が進んだ。
そして1991年、再び、より急進的な新自由主義経済改革がおこなわれる。それによって引き起こされたのは、かつてない規模の大量失業の発生だった。2001年末、通貨危機が起こり、為替管理、預金封鎖がおこなわれ、ついにアルゼンチン経済は破産に至った。
元々、「失われた十年」という言葉は、1980年代のラテン・アメリカ経済の混迷を表現した言葉だ。アルゼンチンはラテン・アメリカの中で、もっとも急進的に新自由主義経済改革をおこなった国である。
日本の新自由主義経済改革の流れは、1980年代から本格化した。金融が自由化され、国営企業が民営化される。消費税が導入される。さらに1990年代に入って規制緩和は一気に強化され、その改革は社会全般にわたった。これらの改革は、バブル経済を生み、そしてその崩壊によって生じたのは、社会経済的な劣化だった。
もちろんアルゼンチンと日本では、いくつかの点で状況が異なる部分はある。それは、国がちがうのだから当然だ。だが佐野氏は、アルゼンチンと日本に共通の病巣を見る。金融の自由化は、投機的なマネーゲームを引き起こし、それはいずれバブルに移行し、崩壊する。そしてその後は、深刻な社会経済的な劣化という状態に陥るという共通した流れだ。
以上が、放送で紹介されていた内容だ。つまり、日本は今もアルゼンチンがかつてたどった道を歩みつつあり、いずれは通貨危機、預金封鎖といった事態に遭遇するのではないかということを予感させる放送だった。
その放送で内橋氏と佐野氏と共著の本が出るといったことが言われていたが、まだ刊行されていないようだ。僕は佐野氏の話がもっと聞きたいので、その本が出るのを心待ちにしている。だがそれ以外でも、佐野氏の話は慶応大学SFCの授業の模様がネットで公開されていて、そこで視聴することができる。登録が必要なので、多少面倒ではあるが。
KEIO UNIVERSITY SFC GLOBAL CAMPUS (SFC-GC) リージョナルアナトミー論D
視聴される方は、第9回から入ってください。ちなみに、第10回の斎藤貴男氏の講演もおすすめです。
僕は、新自由主義というのはもう時代遅れなんじゃないかという思いを抱いている。必要な規制を、必要な分だけはかけるという姿勢が重要ではないだろうか。ただ佐野氏によると、新自由主義路線を継承しつつ、それを補正するようなかたちの改革では限界があるらしい。そうなるとかなり大規模に手を入れることが必要になるが、黒船、敗戦といった外的ショックなしでそうした自律的な社会改革をしたことがないこの国に、それが果たして可能か。そう考えると、やはり暗い未来図しか見えてこないのだが。
投稿者 オッズ : 21:15 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年03月26日
NHK英語講座
来年度のNHK英語講座で面白そうなものをチェックしてみる。
テレビ放送では、「テレビで留学! ニューヨーク大学英語講座」に注目。ニューヨーク大学の授業をそのまま放送するスタイルは、今回で4回目になる。授業はもちろんすべて英語で行われ、その模様が流されるだけ。話される英語はそれほど難しくはないので、授業についていけず、ちんぷんかんぷんということはないと思う。
今回は講師の先生が演劇界のエキスパートで、英語劇作りを通して英会話を学ぶというコンセプトらしい。リスニング強化を目的に見るのもいいし、生徒をウォッチングするのもまた良し。アイドルな娘がいると、モチベーションも上がるもの。
「ドラマで楽しむ英会話」なんてのもあるが、これは青春ものの海外ドラマが好きな人向けだね。でもどうせBBC制作なら、「宇宙船レッド・ドワーフ号」を教材にしてほしいぞ。ひどい英語が身に付きそうだ。
ラジオは、杉田敏先生の「ビジネス英会話」がおすすめ。NHK英語講座最強の難易度を誇る番組ですが、取り上げる内容が興味深く、ためになります。TalkMasterⅡもでたことですし、くり返して聞くとそのうちわかるようになります、たぶん。
NHKのテキストって4月はかなり売れるんだけど、翌月以降は右肩下がりなんだと。そんなもんだわな。
投稿者 オッズ : 21:15 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年02月14日
大物産展
TBSの「報道特集」をよく見る。この番組で取り上げる内容には興味をひかれるものが多い。特に、あの手この手で忍び寄る詐欺についての話題は尽きることがない。
今週は、善意の名を借りたインチキ募金集団を取り上げていた。たしかに大丈夫か? と感じる募金は名古屋でもよく見かける。
こうした詐欺的行為としてはもう旧聞にぞくする話かもしれないが、北海道物産展にインチキ業者が混じっているという話は、今でも気になっている。
デパートが創業何周年記念などといって、日本各地の物産展をおこなう頻度は年々増しているように感じるが、業者をチェックする機能は確保されているのだろうか。放送では物産展がドル箱イベントなので、デパートはどうしても業者に対して甘くなりがちという報道がされていたが、少しは改善されたのだろうか。
消費者はデパートで売られているものはすべて、そのデパートが品質を保証していると考えている。その信頼あってこその、物産展人気だと思う。消費者の信頼があるうちに、うてる手はうっておいたほうがいい。
投稿者 オッズ : 22:00 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年02月05日
錯誤への誘い
![]() | 影響力の武器[第二版] 社会行動研究会 誠信書房 2007-09-14 by G-Tools |
以前のエントリーに書いた人間講座「だます心 だまされる心」が放送を終了した。その内容の高さに感動して、テキストを買い、DVDにすべて録画した(入れ込みすぎ)。
一番印象に残ったのは、部分から全体を推定することの危うさについてだった。部分的な内容から全体の内容を推測するのは人間の知性を示すものだが、未知のことや十分理解していないことに対してこの方法をあてはめることは、とんでもない間違いを犯す危険性を秘めている。放送では、このことをカードマジックを使って示していた。
また放送では、だましのテクニックを使っておこなわれる政策誘導についても述べていた。これにかんして、次の発表について考えてみたい。
国内における変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)の発生について (厚生労働省)
BSE問題に対して、政府の対応は明らかに遅かった。政府が肉骨粉の輸入停止措置をとったのは2000年以降のことである。この発表では、患者は1ヶ月の英国滞在中に感染した可能性が高いとされている。信じてよいものだろうか。何しろたった1ヶ月だ。この発表は英国に滞在したことのある人たちを不安にさせる発表だが、それ以外の人にとっては自分は無関係と思わせる効果がある。だが、この患者が日本国内で感染した可能性があるのもまた厳然たる事実だ。
風評被害や無用なパニックを避けるため、情報の提示の仕方を工夫するというのも時には必要かもしれない。実際、変異型ヤコブ病の発症確率自体は今のところきわめて低い。ただ情報を受け取る側はそれをふまえた上で、なにを重視するのかを考える必要がある。たとえば、米国産牛肉輸入再開などは十分慎重に議論する価値のある問題だと思う。
さて放送は残念ながら終わってしまったが、だまされないための本として『影響力の武器』という本を挙げておきます。安い本ではないけれど、その価値は十分あります。
投稿者 オッズ : 22:00 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年01月04日
プリンセス・テンコーが多すぎる
前のエントリーで書いた「国盗り物語」は、全体としてはよくがんばっていたと思う。夜空を見上げる若き斎藤道三のシーンから物語が始まり、落命寸前の明智光秀が夜空を見上げ、「星か、こんな美しいものがあったんだ」とつぶやくシーンで物語が終わるところなどは感慨があった。わりと光秀中心の話だったのも個人的にうれしい。伊藤英明の「敦盛」には苦笑させられたが。
だが、一番最後のシーンには大きな不満がある。最後のシーンは、老年の高島礼子と平田満がこれまでの人生を振り返るというものだった。だが、高島礼子、全然年とってねえじゃねーか。平田満は白髪で老いさらばえているのに。
北大路欣也が20歳の役をやるのはいい。だが、老女の設定なのに何のメイクも加えてないってのはどういうこった原口智生のような優秀なメイクアップアーティストもいるというのに。
この憤りは「利家とまつ」の松嶋菜々子以来だ。事務所の方針なのか。芸術のためにヌードにはなっても、老人メイクは女優としての商品価値を減退させるというのか。テレビドラマであっても、いやテレビドラマだからこそ、リアルであることは大事にしてほしい。織田信長と森蘭丸の濡れ場をつくれ、などといった無茶なリアルさを要求しているわけではない。年相応の美しさを表現する方法もあるはずだ。それにしわも悪くない、と思う。
投稿者 オッズ : 22:37 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2005年01月02日
国盗り物語
![]() | 国盗り物語 DVD-BOX 北大路欣也, 伊藤英明, 渡部篤郎, 高島礼子 ビクターエンタテインメント 2005-05-27 by G-Tools |
テレビ東京系の新春ワイド時代劇「国盗り物語」を部分的に観る。さすがに12時間もあると、年末年始に録画しまくったハードディスクの残量に収まりがつかない。だから少しはリアルタイムで観ないと、って観ている途中で父親が自転車で転んで怪我したので病院に送る用事ができたりしてなかなか腰を落ちつけて観ることができなかった。
原作は読んでいないが、このドラマを観たかったのは渡部篤郎の明智光秀が見たかったからだ。自分のイメージにある明智光秀に最も近いのは池上遼一の『信長』に登場する光秀なのだが、渡部篤郎も自分の中ではイメージに近いほうだ。彼はいつも通り、哀しい目をしていた。
”確執”が描かれるドラマが好きだ。信長と光秀の確執。そしてもうひとつ、斎藤道三と息子義龍の確執。斎藤義龍という人物も興味深い。ぱっと見は馬鹿っぽい感じだったようだが、生きている間は決して信長の美濃侵攻を許さなかったところなど凡庸ではない。実の父親でない道三との関係は、彼なりの苦悩があったと思う。新春ドラマではそこまで深くは描かれないが、二人の関係をうまくドラマ化すれば、ダースベイダーとルークのような壮大な”父と子”のドラマができるのではないかと思う。
ところで、ベルーナの箱山さんは、お得な通信販売で実家のふとん屋にダメージを与えているのではないか。
投稿者 オッズ : 22:25 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年12月26日
M-1グランプリ2004
紅白歌合戦を世情に疎くなったおじさんが、いまどきの歌はどんなんかいの、と見ていることがあると思うが、ほとんどそんなふうにいまのお笑いはどうなってんねんと毎年M-1グランプリを見ている。
爆笑オンエアバトル」は以前、時々見ていた。「エンタの神様」は見ていない。最近はピン芸人が盛り上がっているらしい。なんだか芸人が多すぎて、名前だけ聞いたことがあるだけでその芸を一度も見たことがない芸人が自分の中で増えつつある。
で、今年のM-1グランプリは例年に比べて、最終決戦が意外と面白かった。いつもは最終決戦の出来が優勝者と2位以下で差が大きい印象があったが、今年は突出したコンビはなく、出来は伯仲していたと思う。ただ、すべてのコンビが最初のネタの方が面白いという傾向はいつも通りだった。
結局、アンタッチャブルが芸の力で優勝。妥当な結果だと思う。だがもう一度見てみたいのは、文句なく南海キャンディーズだ。一昨年笑い飯がでてきたときに、まったく名前を聞いたことのないコンビが繰り出す圧倒的なパワフルさに驚かされたが、今年もそんな感覚を南海キャンディーズに味わった。南海キャンディーズという名前もすごい。ちゃんと考えたのか、本気でメジャーになるつもりがあるのか、問いただしたくなるようなネーミングだ。(同名のコンビがいたので急遽、改名したらしい)
キモい、うざいことが気持ちいいという怪しい世界に見る者をいざなう南海キャンディーズ。これからも応援したい。
投稿者 オッズ : 21:52 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年12月25日
だます心 だまされる心
![]() | だます心 だまされる心 (岩波新書) 安斎 育郎 岩波書店 2005-06 by G-Tools |
NHK教育で放送中の人間講座「だます心 だまされる心」が面白い。世の中にあふれる"だまし"を様々な切り口で紹介し、人はどうしてだまされるのかという疑問を解き明かしていく。現在まで3回の放送があり、第1回は手品のトリック、第2回は推理小説、第3回は霊をとりあげていた。
講師の安斎教授は手品が趣味とのことで、番組中にも度々その腕前を披露してみせる。また第3回では、オウム真理教にねらわれた体験について語っていた。研究室のサイトをみると、平和活動にも尽力されているようだ。
オカルト批判というと大槻教授を連想する人も多いと思うが、安斎教授は彼とはかなりタイプが異なる。
こういった分野に興味がある方は、是非一度ご覧ください。
投稿者 オッズ : 21:48 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年12月19日
伊東甲子太郎
「新選組!」が放送されない日曜日は寂しい。
第43回「決戦、油小路」
僕は伊東甲子太郎が好きである。伊東のファンは少なくないらしく、今回の伊東ってどうよという話もネット上でよく見かける。史実的には文武両道の志士という見方もできる人物なので、不当に悪役として描かれていることにいらだつ向きもあるようだ。だが、ドラマのキャラクターとしてそんな優等生的な描かれ方はかえって面白味に欠けると思う。憂国の志は純粋でありながら、どこか過剰なところがあり、それが周囲との軋轢をうむ。今回の大河ドラマで描かれた伊東も十分魅力的であったと思う。
芹沢鴨の登場回数が多かったために、伊東の登場回数が割を食ったという感はたしかにある。だが、今までこれだけ伊東の人物像というのを掘り下げた作品は他になかったのではないか。
「決戦、油小路」の回は、近藤勇と伊東の会見が前半の見せ場で、お互いが命を賭けて対峙する緊張感に満ちたものになっている。倒幕派の会合で岩倉具視に冷たくあしらわれた伊東は、行き詰まった状況を打破すべく、近藤の暗殺を心に秘めている。近藤も伊東の意図を見抜きつつも、あえて伊東の説得に望む。駆け引きを続ける伊東に、近藤は伊東が倒幕派に加えられない理由を言う。それはあなたが薩長の出身でないからだ、と。薩長は国を思って動いているわけではなく、徳川にとってかわろうとする野望で動いていること。薩長にとっての倒幕は権力闘争にすぎないので、伊東がどれだけ建設的な進言をしても、所詮よそものの伊東は利用されるだけの存在にすぎないということ。この近藤の言葉で、伊東は自分が時代の中では卑小な存在でしかないことを知る。
近藤の言葉は、近藤が最期まで薩長に抵抗する動機も示している。最終回の永倉新八が言う「時代は変わっても、この国の根っこは変わらない」というセリフにもつながる。
僕が伊東を好きなのは、伊東が現代的な人物だからだ。非常に合理的で、人を殺すことを好まない。今回の大河ドラマでも、そういった基本的なところは押さえられていた。史実では伊東の暗殺は近藤による粛正の可能性が高く、僕もそうではないかと思っているが、今回のドラマはそれよりはるかに味わいのある展開になっていた。後半の藤堂平助の死闘も含めて、記憶に残る回となった。
投稿者 オッズ : 22:38 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年12月18日
河合耆三郎
大河ドラマ「新選組!」を振り返る。
第38回「ある隊士の切腹」
勘定方河合耆三郎の切腹については様々な話が伝わっているが、確かなものは少ない。経理上に何らかの失態があり、その責を問われて切腹したぐらいしか信をおける事実はない。おそらく、河合の遺族でさえ本当のことは知らされなかったのだろう。抗議の意味も込められたのかもしれない、遺族によって建てられた立派な墓が残るばかりだ。
新見錦にしても山南敬助にしても、死ぬことをいとわない武士のこころを備えているために最期の時にも決して見苦しい姿を見せない。だが、そういった教育をなされてきたわけではない河合の切腹は本人に覚悟がない分、観ていて痛みが伝わってくるような哀切なシーンになった。
山南の死は悲しくはあるが、本人の揺るがぬ決意があるのでそれほど痛ましくはない。だが河合の死は、現代に生きる自分にとっても他人事とは思えない感情を味わった。介錯人が後ろに控えたあの場所に自分がいるかのような感じがあった。この感覚は葛山武八郎切腹の時に生まれ、河合の死を前にした時、より大きくなって僕自身を包みこんだ。
この回は、新選組を英雄物語としてではなく、等身大の青年たちの物語として描くという三谷脚本の意図が最もその効果を挙げた回といえる。最初に書いたように河合切腹の理由はわからないが、組織の金を動かす立場の人間は今でもトラブルに巻き込まれやすい。そのことが、この回を現代に通じるドラマにしているのかもしれない。
投稿者 オッズ : 22:36 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年12月17日
山南敬助
大河ドラマ「新選組!」を振り返る。
第33回「友の死」
今回の大河ドラマでの不満点は、近藤勇の描き方だった。立派な近寄りがたい人物として描くのではなく、一人の悩める青年として描くという三谷幸喜の脚本は悪くない。だが、真面目でやや堅苦しい印象を与える人物というだけでは、いまひとつ人間としての深さという点で魅力を欠いていたように感じた。周りの人間がアクが強いので、なおさらそう感じられた。近藤の性格的な欠点をもっと前面に押し出して描いた方が、近藤の魅力がよりひきだされたと思う。その点は惜しかった。
近藤の性格的な欠点とは、残された史料から推測するに、お調子者であったということである。池田屋事件以降の一時的な増長は、松平容保から絶大な信頼を得て天にも昇る気持ちの近藤が自分を見失ったのだろうと思う。まさに天狗になったということだ。今回のドラマではそういった近藤の欠点を描かないために、土方の苛烈さばかりが目立ってしまった。
近藤勇と永倉新八、土方歳三と山南敬助。近藤と土方は武士という存在に純粋な理想を抱いている。だが、元武士の永倉と山南は武士というものの影の面についてもよく理解していただろう。永倉と山南にとって武士はそれほど魅力的な存在ではなく、武士とは異なる集団としての新選組に魅力を感じていたと思われる。高杉晋作の奇兵隊のように、身分にとらわれない自由さをもつ集団としての新選組に期待を抱いていたのだろう。今の武士の有様に幻滅していた永倉と山南は、そうではないまったく新しい精神をもった組織としての新選組を追求していたのではないか。だが、近藤と土方はあくまでも武士集団としての新選組を目指していた。新選組に対するビジョンがちがうのだから、近藤・土方と永倉・山南が対立するのは当然のことといえる。
その対立は新選組内部に永倉派を生み、やがて山南の脱走という事件にまで発展する。「友の死」は明里の明るさが山南の悲劇性を高め、文句なく泣ける回となっている。
投稿者 オッズ : 21:34 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年12月15日
新見錦
大河ドラマ「新選組!」を振り返る。
第24回「避けては通れぬ道」
映画や単発ドラマとはちがう大河ドラマのいいところは、一年間とスパンが長いため、近藤や土方、沖田といった主要メンバー以外の登場人物についても丁寧に描けることだ。山南敬助は今回のドラマで最も視聴者にアピールしたキャラクターだったが、それ以外にも印象深いキャラクターは少なくない。
新見錦もそうした印象に残るキャラクターの一人といえよう。新見は史実では謎の人物とされることが多い。田中伊織という新見と同一人物とされる隊士の存在やその死の理由など新見にまつわる多数の不審は、その存在を曖昧なものにしている。
今回の三谷脚本は、近藤勇と坂本龍馬の交流といったシーンから史実を大きく逸脱する脚色をしているというイメージをもつ人も多いかもしれないが、詳細に見ていくと、いくつかの説から最も人情として理解しやすい、自然な解釈を採用しているように思える。新見の死も局中法度の制定時期から考えると、その死と法度が関係している可能性は少ないのだが、二つの事実を関連付けた解釈のほうが現代人にとっては受けいれやすいという判断があったのだろう。
「避けては通れぬ道」は、試衛館のメンバーが仲良しクラブの集団から修羅の世界へ一歩踏み出す瞬間を描いている。この主導的役割を果たしたのが、土方歳三だ。多摩時代の土方はうだつのあがらぬ若者の一人にすぎなかったが、京都にのぼった彼はここを己の生きる場所とさだめ、不退転の決意を抱いている。近藤勇を中心とした試衛館派が主導権をにぎるには芹沢鴨との衝突は避けられないが、近藤はまだそれに踏み切るのに躊躇している。そんな近藤を尻目に土方は動く。山南ら同志とともに緻密な芹沢排除作戦を画策し、その初手として芹沢派の頭脳新見を追い詰めるのである。
史実で謎の人とされている新見に対して、僕はたとえば土方のようには今までその人物像にはっきりとしたイメージをもつことができなかった。土方は詳細な記録が残されているし、何より写真が残っているというのがイメージ形成に貢献している。だが新見は記録も少なく写真もないので、イメージ形成がされにくい。だから僕にとっての新見錦の顔は、今回の相島一之の顔として記憶されると思う。
今回の大河ドラマでの新見は、芹沢の傍若無人につきあいながら芹沢の弱点も冷静に観察しており、芹沢の信奉者というわけではない。新見の言動にはシニカルさやニヒリズムが感じられ、結果的には芹沢との関係の弱さを土方らに突かれたかたちとなった。
この後連綿と続く法度による切腹の始まりは、試衛館の若者たちがもはや引き返せない道へと踏み出す第一歩となった。
投稿者 オッズ : 21:32 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年12月14日
新選組!
![]() | 新選組 ! 完全版 第壱集 DVD-BOX 服部隆之 三谷幸喜 ジェネオン エンタテインメント 2005-02-25 by G-Tools |
僕は特に新選組マニアというわけではない。新選組を扱った映画、ドラマ、小説もそんなにはふれてこなかった。それでも、海音寺潮五郎の小説やエッセー、そして残されているいくつかの史料を断片的に読んだ中から生みだされた新選組についてのある程度のイメージは頭にあった。
正直言って、僕もキャスト発表時は若い俳優を並べたキャスティングに違和感を覚えた。芹沢鴨役の佐藤浩市と沖田総司役の藤原竜也を除けば、主要隊士を演じる俳優たちにいまひとつ安心感がなかった。大丈夫かよ?と感じだった。大河ドラマで若い俳優陣のキャスティングというと、「信長」という失敗例が思い浮かんだ。
史実的にいえば、今回の配役は登場人物の年齢と俳優の年齢がほとんど一致する。むしろ、佐藤浩市の方が芹沢鴨役としては年齢が行き過ぎているほどだ。芹沢鴨と近藤勇を演じている俳優の年齢が離れているために、芹沢鴨の傍若無人さはいい年して何やってんだという印象になるが、実際は2人の年齢はそれほど変わらない。
若い俳優を並べたために、最初の多摩編では俳優たちが役をまだ自分のものにできずに、どことなく固い感じがあった。その固さが三谷脚本の舞台的な面白さを半減させていた。この時点で、観るのをやめてしまった人も多いかもしれない。
だが、若い俳優が演じる面白さは、回を重ねるごとに役とともに成長していく姿がみられることだ。その姿は、ダメ男の集まりとしての試衛館メンバーが、揺れる時代の隙間から突如はじけ始める過程と重なる。登場人物が自分の役割を理解し、それを忠実に果たし始める。同時に俳優も、自分の身体を把握し、役の人物と自分の個性を重ねつつ、求められている以上のものを自分の中からひきだそうとする。そういった役の人生と俳優の人生がシンクロする面白さがある。
今回の大河ドラマはそうした俳優の成長をみる楽しみと、そんな若い俳優が死と向かい合うことによって生まれる、ぞくぞくする面白さがあった。特に印象に残ったエピソードを挙げてみる。
第24回「避けては通れぬ道」
第33回「友の死」
第38回「ある隊士の切腹」
第43回「決戦、油小路」
次回からこれらのエピソードについての感想を述べながら、「新選組!」を回顧してみたい。
投稿者 オッズ : 21:22 | コメント (0) | トラックバック | テレビ
2004年11月03日
西部警察
録画しておいたのを観る。今さらなのでひとつだけ。
ニトログリセリンと書いておかないと危ないからね、やっぱり。










